初めて芝居小屋で芝居を見る

Hanazono Shrine

Photo: "Hanazono Shrine" 2008. Tokyo, Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

新宿一丁目。隣に座る見知らぬ男が噛んでいるガムの、甘ったるい人工的な臭いが、とても不愉快だ。天井は低く、空気の流れは悪い。

「非常口が無いじゃないか」と友人はいささか怒っている。ここで火事が起こったら、逃げられないだろうな、と思う。細い階段だけが唯一の出入り口の地下一階。芝居小屋、というのがぴったりな、80名も入れば一杯の劇場だ。

芝居というものを、芝居小屋という空間で、初めて見た。それは、ちょっと予想外の体験だった。なんというか、極めて個人的な人生の断面を、のぞき見しているような、そんな感覚。


僕たちが最初に、芝居というものに触れるのはテレビの中だ。だから、テレビ以前とテレビ以降では、その印象というか衝撃というか、そういうものはかなり異なるだろう。テレビも映画もない時代に、芝居に触れた人の驚きと楽しさは、相当なものだっただろう。テレビで、中途半端な芝居体験を積み重ねてきた僕にとってさえ、けっこう衝撃的な体験ではあったのだ。

ライブビデオとライブが、全く違う体験であるように、芝居は体験としては、テレビよりも遙かに豊かである。例え、舞台がほんの数メートル四方の狭い、装飾も殆ど無い簡素なものだったとしても。その場限りという再演性の無さ、複製芸術にはない共有感。

しかしこれは、まったくスケールしないし、商売としては楽なものでは無い。結局あの日、観客とスタッフと、どちらが多かったのだ?パトロン無き時代の芸術とは、どうやって成り立つのか。そういうことを、また考えた。

新宿二丁目

Photo: 二丁目 2008. Tokyo, Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

Photo: “二丁目” 2008. Tokyo, Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

新宿二丁目。本当に行ったことがある人は、どれぐらい居るのだろう。自分から「行ってみよう!」というのは、多分あんまりなくて、行かなければ行かないで、そのまま一生過ごせてしまうのではないだろうか。あるいは、それは、ただの都市伝説なのか。

しかし、新宿二丁目は実際に存在するし、今夜も不夜城のごとく絶賛営業中だ。場所的には、伊勢丹裏に広がる飲み屋街から、さらに奥に行ったところ。新宿御苑から北に数ブロック行ったところ。新宿三丁目と、新宿一丁目の間。当たり前だ。


そもそも、僕が初めてその店のドアを開けたのは、なんだったっけ。忘れてしまったけれど、その店の常連の友人と飲んでいたことがきっかけだったと思う。新宿西口のみずほ銀行のあたりでタクシーに乗せられ、気がついたら二丁目で降ろされていた。

古い雑居ビルの急な階段を登り、年季の入ったドアを開けると、熊五郎みたいなオヤジがカウンターの中に一人。お客は、男女数組、男の方がやや多いか。言うまでもないが、この場合、熊五郎がママだ。

ここは、業界で言うところの観光バー。つまり、ノーマルの(ノンケの)男も、フツーの女子も、入れる。店の中に怪しげな本やら物体やらなんやらが転がってはいるが、客が手を出されることは無いそうだ。食べ放題のお通し(煮物なんかが多い)と、何が入っているのかよく分からない水割り、いつもカウンターの一角を陣取っている新宿在住の常連の女、イタリアで男を引っかけた話をまたもや始めるママ。そういう感じで夜は更ける。


マスターの気に入らない女は、なんとなく優先的に潰されているような気はしないでもないが(明らかにそうだ)、男も女も、身の危険は感じないで飲むことができる。はずなのだが。

一緒に飲みに行ったイケメンがカウンターの一角で寝込むと、ママはなにやら携帯で寝姿を撮影したりしているぞ。それどころか、なんか触ってるし。やはり、適度に危ない場所なのかもしれない。