時間だけが、解決できることがある

今日は8月15日。日本の戦後の歴史について専攻していた僕にとっては、少しだけ目に留まる日付だ。

日本国の「戦後」は、1945年の今日から始まった。そして53年。

僕が子供の頃は、まだこの夏という季節には、日本の敗北の日に思いを巡らせる時期があった。今年、もはやそんな空気はほとんどない。

それを批判しているのでは、決してない。戦争がやっと歴史になりつつある。そういう気がしているのだ。

アメリカの影を感じながら、自分たちのアイデンティティーの危機にさらされながら、日本人はようやくここまでやってきた。日本にも個人主義とか、合理的なルールとかがようやく通用するようになってきて、やっと新しい時代を迎えようとしている気がする。

古いものは、あるものは単純に死んでしまい、あるものは持ちこたえられずに崩れていき、あるものはしたたかに生き延びていく。どちらにしても、いろんなことが変わりつつある。


大学時代にきいた、韓国からの留学生の話が今でも心に残っている。
「時間だけが、解決できることがある」

いろんな傷を残して終わった戦争は、半世紀の時間を経て、ようやく忘れられようとしているのだろう。