食糧ビル

Photo: 食糧ビル 2000. Sagacho, Japan, Nikon F100, 35-105mm F3.5-4.5D, Agfa,

Photo: "食糧ビル" 2000. Sagacho, Japan, Nikon F100, 35-105mm F3.5-4.5D, Agfa,

保険の代理店をやっているというじいさんは、知り合ったばかりの僕たちをビルの一室に案内してくれた。そこが彼の事務所だった。ストーブが燃え、暖かい。部屋はあまり広くはなかったが、中庭からの光が差して明るかった。

従業員一人の保険代理店。机の上の文房具はきちんと整えられ、壁のカレンダーには予定がメモされていた。
「こうやってさあ、働いてるのが一番いいのさ。」

2年前、20世紀最後の冬。「佐賀町エキジッビト・スペース」のクローズイベントを見に行った時、僕ははじめてこの食糧ビルを訪れた。食糧ビルは、 地下鉄半蔵門線水天宮駅から、少し歩いたところにある。そのモダンな建築は、かつて穀物取引のために建てられ、今は、いくつかのアートギャラリーと、いく つかの会社の事務所が入る雑居ビルになっている。そして、だいぶ昔に立てられたこのビルで、だいぶ昔からこのビルで働いてきたそのじいさんと、仲良くなっ た。


今から半世紀ほど前。当時はまだ穀物取引が盛んに行われていた食糧ビルに、一人の若者が就職した。その頃、正米市場があったこの界隈は、とても賑やかだった。一生懸命働いて、あっという間に何十年かが経った。やがて、米の流通は自由化され、若者も定年を迎えた。

いったん会社はやめたけれど、小さな保険の代理店をはじめた。その事務所は、やっぱり彼が長年勤めてきた食糧ビルの一室だった。じいさんの人生は、このビルと一緒に続いてきたのだ。

美しいアーチ状の梁に囲まれた中庭、高い天井、コミカルなベランダ。食糧ビルは、見れば見るほど、興味の尽きない建物だ。じいさんは、一般の人は立ち入る事ができない、ビルのあちこちを案内してくれた。これはあの映画の撮影で使った部屋、これはあのドラマで使ったトイレ、、これは昔は動いていたエレ ベータ。じいさんにもらった黒飴を舐めながら、廊下を歩くと、過ぎ去った時間の匂いがした。


その食糧ビルが、マンション建設のために壊されるという噂を聞いた。本当だろうか?


注:最近だと、C1000 タケダの CM はここで撮っていると思われる。

佐賀町エキジビット・スペース

Photo: 2000. Sagacho, Japan, Nikon F100, 35-105mm F3.5-4.5D, Agfa

Photo: 2000. Sagacho, Japan, Nikon F100, 35-105mm F3.5-4.5D, Agfa

呆然。

観客は所在なく歩き回り、床に目をやり、少し不安そうに窓辺に身を寄せる。

「佐賀町エキジビット・スペース」最後の展示は「ドキュメント佐賀町・定点観測 1983-2000」。入り口で 500円払い、今までの展示物の年表を印刷した紙を一枚受け取る。そして、ギャラリーに入る。室内が、眩しい。


種を明かせば、展示スペースには何一つ展示されていないのだった。全ての展示物が撤収され、がらんとした空間だけが広がっている。

この場所の本質が、まさにモダンアートの展示「スペース」であったことを、「展示」している。その展示を前にして、とまどい気味の観客達は、それでもなにかを持って帰ろうと、床を触ったり、柱の写真を撮ったり、窓の外を眺めたりしている。

僕はと言えば、これで 500円はちょっと高いなぁ、などと思いつつ、面食らっている観客達を順に追いながら、シャッターを切った。


美術学校の学生らしき 3人組が、なにも無い床に携帯電話を置き、Nikon のデジカメで写真を撮っていた。携帯のディスプレイが映し出す時計が、残り少ない世紀末の時間をカウントしていた。


注:現在、「佐賀町エキジビット・スペース」は閉館している。

漬け物協会

Photo: 2000. Sagacho, Japan, Nikon F100, 35-105mm F3.5-4.5D, Agfa

Photo: 2000. Sagacho, Japan, Nikon F100, 35-105mm F3.5-4.5D, Agfa

「もうこのビルはだいぶ古りぃからなぁ」

佐賀町2000に見切りを付けて、ビルの中をうろうろ歩いていると、年輩のおっさんにつかまった。丁度、僕が廊下で壊れかけの窓枠を撮っている時 だった。おっさんは暇だった。そして、彼の職場であるこの古くさいビルの中を、カメラを持ってうろうろしている僕も、十分に暇なのだった。


この食糧ビルというのは、雑居ビルである。中には、幾つもの会社が入居している。「漬け物協会」とかそんな名前の団体もあったりして、謎な雰囲気の漂う建物だ。しかし、建築としての美しさと風格には、確かなものがある。

ファインダーを覗いて、とりあえずシャッターを切れば、絵になるカットがいくらでも撮れる。だから、雑誌のグラビアや映画・ドラマの撮影に、日常的に使われている。


彼の口からは、次々と今時の(ちょっと古いかもしれないが)芸能人の名前が出てきた。「あー、広末も来たんですか、、ふーん」

このビルの一室で、今は保険の代理店を営むおっさんは、かつて、このビルで穀物を売り買いしていた会社に入社した。以来、この建物でずーっと働いて きたのだった。この建物の住人というのは、多分そんな人たちが多いのであって、後から出来たギャラリーとか、アートスペースというようなものは、彼らには きっと洒落臭いだけのものなのだろう。

「このさぁ、朝顔(男用の便器のことね)とかがさぁ、良いって言って喜んで撮ってくんだよね。あのー、なんだっけ反町のドラマだよ」

おっさんとえんえん話して、別れを告げて、近所の店でラーメンとおにぎりを食べて、帰った。食糧ビル、それを見に行ったような一日だった。


注:食糧ビル内は、基本的にギャラリーエリア以外は、一般客は立ち入りが禁止されています。関係者と仲良くなれば、もしかしたら、いろいろ見られるかもしれませんが、くれぐれも無断で私有部分に立ち入らないようにしましょう。