窓を一枚撮る。美しい。

Photo: a window in Malacca 2010. Malacca, Malaysia, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)
Photo: "a window in Malacca" 2010. Malacca, Malaysia, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

いきなり連れて行かれた蜂蜜農場と、マレーシアの伝統住居展示場は、ツアーに対する我々の懸念を悪い意味で裏切らなかった。腹に詰め物をした仮面の若者が、ステージでおどけて踊る謎の民族舞踊を見ながら、我々のテンションは最低に近づいて行った。まさか、マラッカの観光というのは、伊豆周辺観光スポット巡りのような物なのではないか、その懸念が頭を過ぎる。

移動するバンの窓から見える町並み。炎天下にうずくまるように建つ、低層のコンクリート打ち放しの民家は、たいぶ沖縄あたりの町並みに似ていた。あるいは、サイパンあたりで見たことがあるような気もする。そんな日常の風景に和みもしたが、がっかりもしていた。お昼少し前の時間、外に人影はない。これが、マラッカ?


それから数分、メルセデス・ベンツのおんぼろバンが、いわゆる世界遺産としての「マラッカ」の街に入ったとき、僕たちは思わず声を上げた。それまでの、炎天の下で寝ぼけたように広がっていた現代的な住宅地が、突然、赤い土壁に白い文字がアクセントのオランダ統治時代の町並みに変わった。

目が、一気に覚める。鮮烈な白や黄色の壁、西欧と中国の要素が混在した建築が、どこまでも続く街路。どこにレンズを向けても、写真になる。「そりゃ、ここに行けば良い写真が撮れるよな」とあきらめにも似た羨望で眺める、そんな景色が突然眼前に広がった。

バンを降りて直ぐに、窓を一枚撮る。美しい。

マラッカに行こう。

Photo: highway 2010. Kuala Lumpur(KL), Malaysia, Ricoh GR DIGITAL III, GR LENS F1.9/28.
Photo: "highway" 2010. Kuala Lumpur(KL), Malaysia, Ricoh GR DIGITAL III, GR LENS F1.9/28.

ホテルのコンシェルジュとは、もちろん、あらゆるお客のあらゆるリクエストを訊く立場にあり、我々が夜の9時にもなって「明日マラッカに行きたい」と言い出しても、特に動じることは無かった。マレー訛りの弾むような英語でにこやかに、


「それは良い考えです」

とさえ言い切った。ただ、バスで現地に行くというプランは


「外国人には無理です」

ということらしい。マラッカ行きの高速バスのバス停は現在工事中で場所も移っており、恐らく飛行機の時間までに帰ってくることはできないだろう、というのがコンシェルジュの主張だった。

どうするか。ホテルが紹介するバスツアーというもがあるという。一人、220リンギットで安くはない。(タクシーを雇うと4時間で800リンギット、これは高すぎるので却下)ツアーねぇ、というのが我々の雰囲気ではあったが、マラッカに行ってなおかつ飛行機に間に合わせるためにはこれ以外の選択肢は無いように思えた。マラッカはそういえば、世界遺産なのだ。ならば行こう、マラッカへ。


翌朝八時半、ホテルに現れたのは、バス、ではなく「バンだろ」という代物であった。日本で見るメルセデスとは違う、業務車両メルセデスのバンに詰め込まれて、我々はマラッカに向かう。昨日の雨は上がり、メルセデスのガラスについた水滴越しに、朝八時半のクアラルンプール市街を眺める。良く晴れている。

街は、ブロックによってイスラム風、中華風、コスモポリタン風と景色が分かれる。モスクの尖塔が、高層ビルをバックに目立つ。クアラルンプールの市街では、ほとんどクラクションを聞かない。信号と横断歩道はいい加減で、交通ルールも緩いが、人が横断しようとすると車はクラクションを鳴らすでもなく、ちゃんと待ってくれる。その優しさと余裕というのが、僕にとってはとても新鮮だった。そこに作り物ではない、優しいアジア、みたいなものを感じたのだ。

文章が書けない日々というのがあって

Photo: 堤防 2008. Tokyo, Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX.
Photo: "堤防" 2008. Tokyo, Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX.

羊ページはずいぶん長く書いているが、それでも書いていない月というのも幾つかある。
文章が思うようにかけなかった日々があって、練習で日記みたいなのを書いていた。


連休の最後の日、いつものように7時過ぎに起きて、ゴミを出す。

今日は天気が良さそうで、気分が良いのでちゃんと洗濯をする。そうして、昨日何の気無しに初めて買ってみたなばなという葉物の野菜を使って、豚肉と炒め物をつくる。生ハムの切り落としも買っておいたけれど、パンという気分では無かった。中華風に鶏ガラスープの素を入れて、塩胡椒で炒める。油菜のようなちょっとしたクセがある菜と、その味付けはよく合って、美味しい。


掃除機をすっかりかけて、窓を開け放して、太陽が差し込むのを感じながら、ゆっくり文章を書く。とても良い気分だ。まだ春には遠いけれど、それでも、太陽の光に力が戻ってきているのが分かる。僕は、やはり暖かい方が好きだ。

騒々しいサイレンが大通りを通っていく。直ぐ向こうに海が開けているから、この街は前の街とは、なんとなく空気が違う。そういうことにも、僕はなかなか気がつくことができなかった。人は見ようと思わなければ、何も見ることはできない。感じようと思わなければ、何も感じることはできない。

滑るように文字が打ち込まれ、そうして形になっていくことに、僕は満足感を覚えた。今日は、どこかに無理にでかける必要もないだろう。