「深掘り」って何

Photo: "Osaka Castle Park."

Photo: “Osaka Castle Park.” 2006. Osaka, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss Sonnar T* 2.8/35, Kodak 400TX.

「深掘り」というのは、ある種の業界 / クラスタの用語なのだろうか。虫唾が走るくらいに嫌いな響きだ。「掘り下げる」で良いでは無いか。

「深掘りできてますか?」

深く考える、深く追求する、深く調べる、そういう事を曖昧に、一塊にして、なんとなくやってる感を出すクソ単語。百歩譲って、「堀る」で良いはずだ。あえて、「深」を付けているところに、なんとも言えない浅ましさを感じる。


「食べやすい」「飲みやすい」も同じく嫌いだ。

食べやすいというのは、形状とか、固さとか、状況とか、そういう食事や咀嚼の動作自体に対する、阻害要因に対する評価としての意味合いではないのか。しかし、今は味的な意味で使われている。じゃあ、食べにくい料理って何だ。それは、不味いのか。いったいどんな食べやすさを追求して、料理を選んでいるのか。「この日本酒飲みやすいですね。」飲まなくていいよ、それ。

もちろん、言葉は常に変わっていく。しかし、表現の審美というのは、ある程度時の流れに耐えるのでは無いかと、僕は思うのだ。

マギー 2分クッキング

Photo: “Arranged Maggi 2-minute noodles.”

Photo: “Arranged Maggi 2-minute noodles.” 2020. Tokyo, Japan, Apple iPhone XS max.

「インドの麺」をもらったので、試みに調理してみる。冷蔵庫にあった瀕死のピーマンを刻み、最近常備されている紫タマネギは粗くみじんに。昨日買ってきた、八百屋謹製のサラダも、キャベツの千切りを中心に残っているので、この際始末してしまう。作り方の説明には、日本と違って「具を足すと美味しく召し上がれます」的な事は一切書いていないが、問題はないだろう。

これら野菜を、たっぷりのオリーブ油に放り込む。「今日ヤバイ奴に会った」で観るインド屋台では、だいたいがあり得ない量の油に放り込んでおり、それに従う。ざっくり炒まったら、塩をきつめに、胡椒を少々碾きいれる。コーンとかレタスとか、サラダらしい野菜がだいぶ混ざっているが、問題はないだろう。


麺は、よく見たらネスレだった。(商品のタイトルはマギー2分麺。マギーはネスレが1947年に買収したブランド)流石世界最大の食品コングロマリットだ。まあ、これなら大丈夫に違いない。麺を投入し、袋のインストラクションに従って4分割しようとしたが、そんなことは出来ない。麺は複数レイヤーにまず割れて、そこからキットカットのように8等分になった。まあ、問題はないだろう。

そこにお湯を投入。規定の200ccだと明らかに足りないので、倍ぐらい入れる。パッケージにバンドルされた小袋から、結構な量のマサラを入れるが、野菜が多いのでどうも心許ない。カレーを作るときに使っている、ガラムマサラとクミンシードを適当に足す。これでは元の製品の味が分からない気がするが、問題はないだろう。

暫く炒めて、水分が干上がったらできあがり。水が無くなったらできあがりだと、インド人が言っていたから、たぶんこれで出来上がりなのだ。問題ない。


食べてみると、油分極めて多めなので、ビーガン食とは思えない濃厚さと腹持ち、っていうかしつこい。どこまでが付属のマサラで、どっからがうちのマサラなのかはよく分からないが、あー、こういう感じこういう感じ、という香りが鼻に纏わり付く。凄く美味、ではないが、限りなくインドの「普通」のおかんの味みたいなモノができた。

重要なご報告は無い、10分では分からない、〜してみない。

Photo: "GLASS PYRAMID 'HIDAMARI' 2."

Photo: “GLASS PYRAMID ‘HIDAMARI’ 2.” 2018. Hokkaido, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujinon XF23mm F1.4 R

結局、講演タイトルとか、動画タイトルとか、そういうものを考える会議をしていると、どこまで煽るか、どう目にとめてもらうか、という話になる。どうしても、世間で使われているYouTubeのタイトルみたいなものに、みんな少なからず影響を受けていて、そんな表現が出てくる。

それをどこまで許容するかのレギュレーションを、定量的に定めることは不可能なので、最後は良心に頼るしか無い。なるべく煽りたくないな、と個人的には思っている。

結局、ちゃんと調べたり、ちゃんと考えたりするほどに、断言出来ることは少ないし、限られた時間で全体像を説明することは難しい。だから、あまりにわかりやすい言説や30分でわかるみたいなものは、基本的にまやかしだ。でも、そういうものが持て囃される方向性は益々加速するだろう。


このサイトは、もちろんここまで書いてきた歴史の中では、Amazonのアフェリエイトリンクを試してみたり(ごく出始めの頃だ)、タイトルを気にしてみたり(だいたい、最初は全ての「某月某日」がタイトルだったが)、記事の更新をかける時間を考えてみたり(日記才人のログが流れにくい時間帯とか)、そんな一通りの事をしてきて、今に落ち着いている。

「今」というのはつまり、別に何も気にしない、ということ。キャッチーなタイトルにはしないし、広告は一切入れないし、なんならあまり目立たないようにしていきたい。

そういうものと、遠くにありたい、と思うのだ。