スポンジボブ

Crane machine

Photo: “Crane machine” 2011. Las Vegas, NV, US, Ricoh GR DIGITAL III, GR LENS F1.9/28.

ラスベガスの南端にある、ショッピングモール。なんか、西友っぽい雰囲気というか、適度な場末感が漂っている。

ラスベガスの北の端には、ちょっと高級なショッピングモールが有る。プレミアムアウトレット、という名前に相応しい、少し高いブランドが揃っている。反対の南側、今居るのがもう少し日常的なモールだ。

北のプレミアム・アウトレットで普通に受け付けられた、ちょっとマイナーめなクレジットカードを出したら、なんだこれ、うちで扱えるのか??とちょっとした会議が開かれている。


寝間着代わりにも使えないようなえぐい柄のTシャツが、量り売りみたいな値段で売られ、通路には天然色ガムのガチャガチャとか、楽しいものが沢山。ちゃんとクレーンゲームも有る。中に詰まっているお楽しみキャラは謎すぎて、スポンジボブぐらいしか分からない。

頭に花が咲いてる謎キャラとか、気になるけど、僕はクレーンゲームが何よりも下手なんだった。

ソーシャル?

ソーシャルメディア、SNSに有る、ある種の押し付けがましさ、嘘くささ、変なポジティブ脳、そんな雰囲気は、いったいどこから来るのだろう。胡散臭さ、とはちょっと違う。それは、親切とか、シェアとか、良いものを与えてあげるよ、的な何か。

インターネットの初期には純粋に技術が好きで、それに対する驚きみたいなものがあって、それがドライバーだった。それは凄く純粋で、本質的で、心地よかった。もちろん、金銭的な欲とか、やり逃げ勝ちとか、そんな事もあったのではあろうけれど。少なくとも、気味の悪い嘘くささは無かった。

なんか、好きになれない、嘘くさい、納得できない、目が笑っていない、嫌でも前向き、充実、なんかおかしい。絶対、あんなものにのめり込めない。でもやっぱり、そういうのが得意な人は居るだろうし、広がるのだろう。そうして、人の心とのギャップを、あえて無視しながら、それに慣らされながら。その二重性・距離感を前提にしながら。別に、それでいいけどね。気持ち悪いね。

日本の食事は、ちょっと少ない

Coke and naan

Photo: “Coke and naan” 2013. Tajganj, India, Apple iPhone 4S.

「日本の食事は、ちょっと少ないことがあるから」

社食で飯を食っているときに、韓国から暫く来ている同じ部署の女性が言っていた。日本より一食の量が少ないと思った国は、考えてみると無いかもしれない。

ダライ・ラマも、何かのインタビューで「日本の料理は質は良いのだが、たまに量が少ない」と言っていた。


一つには、「もったいない」の文化があるのかもしれない。食事は残さず食べる、その前提があるから、量は少なめになる。なんとなくだが、食事は基本残す、という国の方が多い気がする。インドの旧市街でも、食べ残しの屋台の飯が、普通に街路に捨てられていたっけ。

残すって、やっぱり違和感があるな。