食卓にも春が来ましたね。
僕はデザートはグラッパでいいやと思っていたのだけれど、こんなのが出てくると、ちょっと貰いたくなってしまう。
厨房で、シェフがニヤリとしている気配がしたよ。
写真と紀行文
食卓にも春が来ましたね。
僕はデザートはグラッパでいいやと思っていたのだけれど、こんなのが出てくると、ちょっと貰いたくなってしまう。
厨房で、シェフがニヤリとしている気配がしたよ。
英語の先生にあなたの way of life は何ですか?というのを宿題にされた。
さて、何だろうと色々考えて、辞書をいろいろ引いて、語感的に一番近そうな middle-of-the-road (中庸)と答えた。僕のそういう答えは予想外だったらしく、目を丸くして頷かれた。
僕のような仕事をしている人間が、そんな風に言うのは珍しいのだろう。例えば、仕事に人生の価値観の大半を譲り渡すことに何の疑問も抱かない人間が 自分の周りにも結構居るし、むしろそれを誇らしく思っているように見える。中庸よりは極端、Extreme、前倒れ。もっとも、そうでなくては、なかなか 生き残ることが難しいのも事実だが。
それにしても、いかにも東洋っぽい概念に思えた「中庸」に対して、いくつもの英単語訳があるものだ。middle path / golden mean / middle course / middle of the road / middle way / moderation etc… (僕が見た幾つかの辞書では、中庸と中道がだいたい同じような扱いで翻訳がつくられているが、厳密にはその二つは違うらしい、中道は仏教用語)広辞苑を見 たら中庸の解説の所には、「アリストテレスの徳論の中心概念」だそうで、知らないことは沢山ある。
何かを成すためには、思いっきり偏らないとダメ、みたいな思い込みが蔓延っている気がするが、本当はそうでもないのだろう。少なくとも、人にはそれ ぞれあったやり方があるし、中庸を受け入れてそれでやるというのも、それはそれで勇気が必要だと思う。少なくとも、僕の場合、色んな事に対して目を開いて おくためには、心を真ん中に保っておくことが、やはり大切だと感じるのだ。
せっかく万博に連れて行ってもらったのに、そういうイベントにどこか欺瞞を感じ、それを素直に夏休みの感想文に書くような子供が大人になると、浦安ディズニーリゾートで首をかしげながら空を眺めることになる。
ディズニーリゾートには、何故カラスが居ないのか。居ないよね?雀も居ないよね?
まあ、そういう事を真剣に追求すると、なんか、まずいことになりそうなので、その一件は忘れるとして、鴨は居る。それも凶暴な奴らが。
ディズニーシーの作り物の岩と、作り物の湖と、作り物の碧い湖水の上に、リアルなカルガモの一家が無理矢理暮らしている。彼らは、キャストではないから、差し出された子供の手を噛む。売店で買った浮き輪型の肉まんを奪い取ろうとする。
なかなか、良いじゃないか。