黒澤明「乱」

Photo: 旗 2003. kamakura, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Planar T* 1.4/85(MM), Kodak EBX.

Photo: "旗" 2003. kamakura, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Planar T* 1.4/85(MM), Kodak EBX.

黒澤明監督の映画「乱」をたまに見る。全部は見ない。城攻めのシーンだけを見る。

この映画は、紛れもなく、エンターテインメントだ。でも、ホンモノだ。


格調高いというのではなくて、ホンモノ、なのだ。色が。流れる血は、ヨーロッパ中世の食人画のような赤。夜の闇を横たえたような、土の黒。

文化の重さ、というか、一朝一夕にはできんな、これは、という画が続く約 15分。

世界のどこの文化でもない、日本の文化、が生んだ映画だと思う。


黒澤が言っていたことに、とにかく本(脚本)を書かないとためだ、ということがある。映画をつくりたい、というのに、最初からたいそうな設備もス タッフもいらない。わら半紙と鉛筆があれば、本は書ける。それをやらないとだめだ、と言う。確かに。しかし、それが出来る人間は、そうは居ないのだと思 う。

entertainment: 2a 楽しい気晴らし(を与える[得る]こと), 慰み, 娯楽; 《劇場・サーカスなどでの》見世物, 催し物, 興行もの, 余興, 演芸.[株式会社研究社 リーダーズ英和辞典第2版]

web の Flash 化に対する異議

web サイトを Flash で作るっていうのは、僕は嫌い。そんなもので、幾ら見た目を格好良くしても、なんの意味もない。安易だ、と思う。

web でどう表現するかは自由だ、という意見と、スタンダードを守るべきだ、という意見は、web の誕生の頃からあって、(古くは、フレームの是非とかありましたね)そのバランスの中で、スタンダードも進化して今日に至るわけだけれど、アプリケーションとしての web ではなくて、コンテンツとしての web にあっては、依然として僕はスタンダードが守られるべきだと思っている。

その中にあって、Flash は スタンダードでは無いと思う。何よりも、安易な、「コンテンツとしての web の Flash 化」は、幼稚で自分勝手で、web デザイナーが単価を上げて、よく分かっていないクライアントをだまくらかす手段だとさえ思う。HTML で誠実にコーディングした格好良いサイトより、Flash で簡単かつ派手に作った方が、「分かってない人」からは、絶対金が取れる。


安易な Flash 化によって、web の非同期的な心地よさは失われる。本来、コンテンツとしての web はインタラクティブであってはならない、とさえ、僕は思っている。web は本のように、あくまで受動的であるべきだ。メニューを押してからの演出としてのディレイを取られたり、自分のフォント設定を無視して表示されたり、skip を押すまで勝手にムービーを流されたり、そんなお節介は不要だ。世界はお前のサイトのためにあるのではないし、web ページはテレビのチャンネルとは違うのだ。

例えば、ある写真展を見に行こうとして、公式サイトに行くと、全部 Flash でつくってある。文字の大きさは変えられないし、フレームサイズも固定だし、PC の画面は俺様のためにある的な傲慢な作りだ。アクセスの所をクリックすると、これまた Flash の中に、地図が開く。普通、これって印刷して、手に持って会場にいくものでしょう。どうやって印刷しろと?

スクリーンショットを撮って、画像ソフトにペーストして、保存して、印刷した。なんだそれ。web の一番大切な、アクセシビリティーの無視、もしくは、配慮の欠落。
僕も Flash でつくった、お遊びコンテンツは大好きだ。ああいう、小学校の頃、ノートの片隅に書かれて、クラス中を回ったような感じの下らないコンテンツが、エンハンスされて世界規模で出回っているのも面白いと思う。逆に言うと、そんな程度の用途で十分だよ、と思う。

もっと、考えよう。

大学で習ったことは、二つだった。

Photo: 街路 2005. Tokyo, Japan, Contax i4R, Carl Zeiss Tessar T* F2.8/6.5.

Photo: "街路" 2005. Tokyo, Japan, Contax i4R, Carl Zeiss Tessar T* F2.8/6.5.

大学で習ったことは、二つだった。

一つは、「自分が感じ、考えたことからだけしか、人は出発できない。だから、それがどんなに世の中と違っていても、あるいはどんなに稚拙に思えても、それを大事にし、守れ」ということ。

これは、僕がものを書いたり、何かを決めたり、意見を言ったりする時の、全ての基礎になった。


二つ目はまたこんど。