僕らが乗った船では、船橋を艦長に案内してもらえるというサービスがあった。テロうんぬんで、くだらない規制をしたがる今の状況の中では、とても素晴らしい企画だと思う。事故は、そのさなかに起こった。
「落ちたっ!」
艦橋で船長の話を聞いていると、たまたま右舷を覗いていたお客が叫んだ。船から、人が落ちたのだ。(※フェリーの安全性という部分で、誤解が無いようにあえて正確に書いておく。自分で安全柵を乗り越えたのだ)
「はやく出て、出て下さい」という船長の声を背中に、どっと階段を下りる。指示をする船長の顔は、さっきまで馬鹿話をしていたおっさんから、プロの顔に変わっている。甲板に出ると、もう船は減速してターンを始めている。惰性のついた船はそう簡単にはとまらない。しかも、舵で方向を変えるので、その場で停まるのではなくて、進みながらうまくターンしなくてはならない。船の航跡はみるみる消えていく。冷静な操舵で、船は180度ターンして、落下地点に戻る。
30分、デッキに出て海面を皆で睨むが、素人には波頭と物体の区別がつかない。藁の中から針を探す、という言い回しの意味が分かる。沢山の乗客が甲板に出て、海面を睨んでいるが見つからない。
あとで聞いた話では、船から落ちたら「ほぼ、見つからない」はずなのだが、今回は見つかった。プロの船乗りの目は、外海の速い海流に流された転落者の姿を見つけた。潮が速く、僕たちが素人が思っていたのとは逆の方向だ。浮き輪が投げられて、救助艇が降ろされる。はたで見ていると救助艇と転落者の間はとても近く、そして無限に遠く見える。人の命が左右されている現場が目の前で突然展開する。
海中から助けられたまでは、感動の救助劇で良かったが、戻ってきた救助艇の様子はあまりかんばしいものではなかった。ファインダーを覗きながら、力の抜けた土気色の体に予感はあり、シャッターを切るべきか、迷った。人の死を撮ったことは無いのだ。よくシャッターが切れなかった、という話は聞く。結局、僕は極淡々と撮った。レリーズの重さは、いつもと同じだった。載せられなかったカットには、人の生き死にの瞬間が写っていた。例えば報道のカメラマンな ら、この嫌な興奮にも似た気分にさえ、やがて慣れるのだろうと思う。装填したフィルムを使い果たす頃には、救助は終わっていた。
「良い天気なのに、、」
底抜けに明るい外洋の真っ昼間。綺麗な青い海に、飛び込んだのか。「海が呼ぶことがあるんですよ」海のある街で育った後輩に、後からそんな話を聞いた。医者を捜す船内放送が流れ、毛布が用意される。数十分、海保のヘリが救助にやってくる。ヘリも撮ろうと思ったが、そのヘリに向けて携帯のカメラをかざしている何人もの人たちを見て、なんだか一気に覚めてしまった。
それにしても、今回の旅は、のっけから凄い展開だな、、。
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