何を頼りに生きているのか

自分が何を信じて生きているか、言い換えるならば、何を頼りに生きているのか、を考えてみる。

自分の才能を信じて生きているのではないかと、思う。

他にも、答えはいろいろあるだろう。友達、って言う人もいるだろう。僕には、本当の意味で、大切な友人が何人かいる。しかし、僕は彼らに頼って生き るような真似はしたくない。自分を愛してくれる人のため、そして自分が愛する人のため、と言う人もいるだろう。残念だけど、今の僕にはそう言い切れる人も いないし、将来、それが自分にとっての答えになり得るのかどうかも分からない。自分がかわいいから、あるいは、「生き続けない」勇気が無いから、と言う人 もいるだろう。死にたくないことを頼りに、生きるというのは、間違っていないと思う。でも、今の僕は、その答えには納得できない。


社会に出てしばらく経つけれど、あらゆる領域に於いて「才能」を信じて生きている人と、そうでない人、というのが居るような気がする。そして、自分が明らかに前者に属していると感じる。

自分が昔追っていた夢について、人の話を聞くことがある。夢は、才能を喰う。夢を持ち続けるのであれば、溢れる才能を、夢に与え続けなければならな い。与えるべきものが、全く尽きてしまった時、あるいは、与え続けることに恐怖を抱いたとき、それは「夢」から、「追っていた夢」に変わる。

あるいは、自分の夢が何にあるのか分からない、そういう人の話を聞いていると、言いようのない悲しさを覚える。見つからない夢、折り合わない才能。

僕って才能があるでしょ、凄いでしょ、とかそういうことが言いたいのでは全くないし、僕が、妙な選民意識を持っているわけでもない。「才能」なんて いうものは、ものすごく不安定で、育てにくく、失われやすい。そんな才能とのつき合いを、諦めてしまったり、あるいはその存在にさえ気がつかない人は多 い。しかし、それでも、その「才能」を信じ、「才能」とのつき合いを諦めない人たちが居る。そういう話しだ。

でも、そういう人の数は、そんなに多くないように思う。だって、きっと辛いから。しかも、そんな風に生きている人の多くには、実は本当の才能なんて無いだろう。もちろん、僕にだって。

それでも、僕はそういう風に生きる。考えてみて、そうだと「分かった」。