僕の町

今日の[羊の一言]は、「僕の町」というタイトルでみんなで日記を書きましょう、という企画に参加して書いています。気合を入れて書いた、というよりも、なんとなく書いてみたら書けたので、参加しただけですが。


自分の育った町を見に行こう。そんな風に思ったのは、丁度、今ぐらいの季節だったと思う。

その町は、実は、今住んでいるところから凄く近い。引越しに引越しを重ねていたら、いつの間にか近くに戻ってきた。おかげで、電車にほんの少し乗れば、着いてしまう。

しかし、僕にとっては、もはや、なんのつながりも、なんの価値もない町。出て行って、10年、一度たりとも戻らなかった町。

その町は、僕にとって唯一、故郷という事ができる町なのではないかと思う。残念なことに、僕の家族はその町が、多分キライだろうし、その町の思い出 を口にすることもない。しかし、自分が幼年時代を過ごしたその町が、僕にとってはやはり故郷だ。親の仕事の都合で、何回も引越しをするはめになった僕に は、自信を持って自分の故郷だといえる土地や、あるいは、ここに帰れば懐かしい仲間が迎えてくれるという場所が無い。それでも、自分を形作るよりどころに なっている記憶があり、その記憶をつくった場所がある。それが、この町だった。


なぜ、その時に、町に戻ってみようと思ったのかは分からない。就職先が決まって、時間がぽっかりと空いた。何日か考えて、ふと、その町に向かう電車に乗ったのだ。

最寄駅からバスに乗るとき、乗るべき路線が分からなかった。どのバス停で降りればよいのかも、僕にはまったく見当がつかなかった。僕は、町の思い出を自分なりに大切にしてきたつもりだったが、時間は容赦なく記憶を奪い去っていた。

結局、僕は2つばかり手前のバス停で、間違って降りた。

町には、知り合いは誰も住んでいない。自分の当時の友達は散り散りになってしまったし、何の当ても無い一人歩きだ。それでも、僕には自分の家まで迷 わずにたどり着ける自信があった。この町を懐かしく思い出すとき、家までの道のりは、側溝の起伏から電柱の位置に至るまで、確信を持って思い出すことがで きたのだ。

しかし、僕は道に迷い、家を見つけることができなかった。何もかもが、別の町だった。僕は、ほとんど動揺していた。あのときの自分の視点、今の自分 の視点。10年の時間は、何もかもを、ゆっくり、しかし確実に変えてしまった。すっかり大人になった僕の目から見た町は、小さくて、みすぼらしかった。し かし、町自体はそんなに変わっていないはずだった。特に開発が進んだわけでもなく、寂れたわけでもなく。町は、バブルの嵐を乗り越え、汚い市場がショッピ ングセンターになったりはしていたが、おおむね昔のままだった。僕が、あまりにも変わったのだ。

僕は、最後のカンにたよることにした。何年も歩き続けた、小学校と家との往復。さすがに、小学校の位置はわかったので、そこから家に向かって「帰る」ことにした。

家の前を3回通り過ぎて、ようやく僕は足を止めた。裏庭に咲いていた椿の花。それを目にした時、僕はようやく記憶を取り戻し、ここが自分の育った場 所であることを確信した。家は、あっさりと潰されて、まるまる駐車場になっていた。僕が遊んでいた庭には、乱雑に砂利が入れられ、家の正面のブロック塀 は、車の出入りのために崩されていた。玄関の脇と裏庭にあった椿が、極めて乱雑に枝を払われながらも、薄いピンクの花を咲かせていた。色あせた景色の中 で、ハッとする程、綺麗な花だった。そこに、僕の家があった証拠はそれだけだった。

僕はそこに長居する気にはなれず、再び歩き始めた。暫く歩き、ショッピングセンターに戻ってみた。どこの町にでもあるような、ショッピングセンター。今の生活、今の人々。

もう帰ることにした。

夕闇が、夜の闇へ代わろうとしていた。僕は、かろうじて記憶にあった、弁当屋近くのバス停まで歩き、そこでバスを待った。弁当屋は、ずいぶん昔に店をたたんだようで、あたりは暗く、もの寂しかった。僕には、もう帰る町が残されていないことが、分かった。


それから数年、この日以来、町には行っていない。それでも、この日に味わった不思議な、そしてとても寂しい感覚は、今日でも忘れられない。

たぶん、この町が、僕が住んだ最初で最後の「町」だったのではないかと思う。豆腐売りのラッパの音も、水溜りに張った氷を割る感触も、夕暮れの路地に漂う煮物の匂いも、みんなこの町が僕に教えてくれたことだったから。

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