最近、僕の勤め先の会社の株価が、大幅安という誤報が流れた。結局、株価速報用コンピュータのミスだったが、一瞬、判断が遅れたのか?と思った瞬間でもあった。判断というのは、言うまでもなく他の会社に移るタイミング、ということである。(あと、株売っとけばよかった、という後悔)しかし、流石に外 資系だけあって、「じゃあ、xxさん(僕の名前)、帰りに履歴書でも買いましょうよ。何枚か入ってるから二人で半分ずつ分けましょう」などと言う人も居た。あながち冗談にもならないのが怖い。
コンピュータ業界は、相も変わらず、リストラと買収の嵐だ。業界の展示会のような場で、控え室に集うコンピュータ業界の他社社員の会話を聞くともなく聞いていると、怖くなる。「今年も、そろそろ解雇の季節ですね、、」「去年は、xxさんの部署が丸ごと出されちゃったし、、」どこの会社とは書かないが、コンピュータ業界では 10指に入る大手の社員の会話だ。
あるいは、この間まで一緒に仕事をしていた ISV(独立系ソフトウェア会社)の人たちが、本社の日本撤退によって、いきなり失業する場面に出会ったりする。僕の立場から言えば、取り扱いの製品が 1つ減るだけだが、彼らは職を失う。逆に僕が職を失ったとしても、僕のお客にとっては、同じように業者の選択肢が1つ減るだけにすぎない。残酷かもしれないが、それがコンピュータのビジネス。
僕の周りには、会社をスピンアウトして(人によってはドロップアウトなのかもしれない)、自分の会社を興してしまう人もいるし、他社に転職していく人もいる。知り合いが退社の挨拶をしに来た時に、「うちの会社に来ない?」と誘われることもある。(社交辞令かもしれないが)あるいは、高額な一時金が提示された転職話にお目にかかかり、真剣に揺らぐことだってある。(もちろん、一時金だけが目当てではないが)
大学を出た後の就職先を探すというのは、ある意味、そんなに難しいことではない。どうせ企業のことなんてよく知らないから、賭のような気分で会社を決める。そして、そんなものかぁー、と思いながら勤めるのだろう。ところが、転職となると企業の事もある程度分かっているので考えることが多いし、転職の タイミングや転職先もいろいろ、給与もはっきり違ってくるので難しい。
別に、今の会社がやばいとか、そういう話ではなくて、どんな会社だって成長と倒産(あるいは買収)の可能性があるよね、という話し。今いる会社を見限って、より将来性のある会社に行ったつもりが、転職先が傾いて、見限った方が成長してしまうかもしれない。それは、全く分からない。もし分かったら、働いたりせずに、株で大儲けできるはずだ。
ところで、自分の将来をいろいろ考えられると言うのはよいことだけれど、疲れることもある。自分の所属意識が定まらずに、根無し草のようにフラフラ生きるのは、なんとなく不安だし、自信がなくなる。
僕の場合、今住んでいるところは大学の時から住み始めたので、昔なじみの人、というのが近所に居ない。入社以来、ほとんどメンバーの入れ替えがなかった今の部署は、一番長く同じ人たちと過ごしている場所と言っても良くなりつつある。もし、そこから出ていこうとしたら、正直かなりの抵抗を感じるはずだ。転職と一口に言っても、それほど割り切って決意できるものでもない。
それでも、今回の株価騒動で改めて分かったのは、自分は別に会社に忠誠を誓っているわけではないということだ。自分の所属するチームのメンバーや、 仕事の内容等には愛着がある。あるいは、企業の持っている文化や、価値観にも愛着がある。しかし、それらは会社がまっとうに動いている限りのことであっ て、それが立ち行かなくなれば、自分は会社を見限れる。会社とともには沈まない。
この不況の時代には、誰しも自分の職に不安を持つ。それでも、やはり自分の勤め先を変える可能性、ということに、進んで向き合う人はいないのではないかと思う。それでも、いくらかの確率で、みんなに降りかかってくる問題だ。今回の誤報で、少しはやく、その問題に向き合わされることになったのだ。