韓食、干し鱈のスープ

Stockfish and tofu soup.

Photo: “Stockfish and tofu soup.” 2016. Seoul, South Korea, Apple iPhone 6S.

韓国には何度か行ったことがあって、というかこのページ自体を検索してみると、なんだかんだと結構行っている。

なんか飯が合わない、と2004年の僕は書いていて、辛いモノにウンザリしたようだ。1999年、初めての出張で浮かれていろいろ食べてたあげくに、キムチはもういらないとか書いてるあたりが、もはや微笑ましいレベル。

そして 2016年、今回は財閥系韓国企業に勤務経験のある、ちょっと韓国語も話せる友人のガイド付きでの訪韓となった。メインは、事態が混沌として行かれなくなる前に、かの JSA を見てみることなのだが、今回いろんな韓食を試してみた。実際、飯以外にやることがあんまり無いのが、このソウルという場所。


結論から言えば、ハングルが読める人が居ると、なんか選択肢が広がって、地元の人が行く安くてそこそこ清潔な食堂的な所で飯が食えて、割とリーズナブルで、個性のある味に出会えた。そんなに行きたい国評価が上がったわけじゃ無いけど、美味しいものもあんだね、と思った。

CSで観ることができる、「韓国人の食卓」という KBS の番組がある。チェ・ブラムという年輩のオッサンが、韓国各地の食を巡るのだが、基本、日帝時代とか、朝鮮戦争時代とか、戦後の貧しい頃の事とか、オモニの思い出とか、恐ろしくめんどくさい団塊世代韓国版みたいな要素を無理矢理毎回織り込んでくる。つまり、観る人が観るとある意味とても楽しめるタイプの番組で、僕も案内役の友人も楽しく観ている。

そしてこの朝、我々が向かったのは、まさにチェ某が好きそうな、干し鱈のスープというなんとも貧乏くさいというか、時代を感じるメニューの単品で勝負するお店。ソウルの中心部ではあるが、これは期待できる。韓国のある時代を感させる、いかにもな低層建築の外観、派手派手しいドアのフィルム。


たいして高い店でも無いので、意を決したりはせずに入ってみる。単品メニューなので注文の必要は無い。座ると勝手に一式出てくる。この国の突き出しで水キムチが出てくる謎オペレーションも、なんとなく慣れるものだ。これ、そんなに旨いとは思わないのだが、出てこないとなんとなくさみしく感じるものではある。

干し鱈のスープは、控えめに言っても、だいぶ旨かった。乾物から出た深いコクが、熱いスープに存分に融けている。鱈自体がそんなに沢山入っているわけでは無い、というのもむしろ良い。韓国料理らしく、スープ自体に塩味は付いておらず、テーブルにあるニラキムチやアミの塩辛を入れて味を付けていく。アミが甘い塩味を付け、ニラキムチは浅漬けで清涼感を添える。

スープはお代わり自由で、飯はそうでは無いらしい。メインの商品であるスープが食べ放題というのも凄いが、ご飯は有料なのは謎。スープをお代わりしている人は居たが、飯をお代わりする人は居なかったので真偽不明。日本だとなんか逆な気がするが、米が貴重とされた半島の歴史的背景から来るものだろうか。実際には、でかい丼よりもでかいお椀一杯のスープを飲んで、一緒に供されたご飯を食べたら、もう十分な量の朝食となった。さて、飯も食ったし江南でも行くか。

新潟、墓碑。

Life corridor.

Photo: “Life corridor.” 2015. Niigata, Japan, Richo GR.

そして、新潟までやってきた。

年老いたご両親が僕たちを出迎えてくれた。迎えには行けない、とメールには書いてあったが、きっと2人が居ることはなんとなく分かっていた。

・・・暫く連絡をしていなかった。

真夜中に「さようなら」と書かれた web のエントリーを見つけて、翌日、なんとか住所を調べて同僚2人と一緒に家にたどり着いた。チャイムの呼び出しには誰も出ることは無く、駆け込んだ交番の警官は、つい数日前にその家主が自ら命を絶った事を僕たちに教えた。

家の中では亡くなっていない、近くの公園。つまり、その物件は事故物件にはならない。最期まで、気を遣っていたんだと思った。両親が呼ばれ、遺体は引き取られ、全てはもうカタがついていた。

交番からの帰り道、ガラガラの居酒屋で食べた蒸ニラに卵の黄身を載せた、変なメニュー。ボトルのハイネケンは、かつてなく酷い味がした。3人で、クソまずいな、と言いながら飲んだ。


それから数ヶ月、知り合いの嫁の知り合い、というツテで両親から僕に連絡が来た。生前、仲良くして頂いたようで、なにか話しを伺えればと。電話口の年老いた声。

あんなに優しい人は居ませんでした、たぶん、優しすぎるぐらいでした。そんな言葉が、何かの慰めになったのか、ならなかったのか。

悲しみに暮れる母親のメールの何通かを僕は無視し、一度だけ先輩の写った写真を何枚かプリントして送った。なんとか、お墓を建てる事ができました。そんなメールが来たのは、亡くなって1年したぐらいだろうか。


やっぱり、墓参りに行きましょう。ごく親しい人にだけ声をかけ、結局元同僚と2人で行くことになった。新潟駅からローカル線で数駅、ここが彼が言っていた故郷、彼がバイトをしたというモスがある街。そして、僕達の目の前に立つご両親は、ひどく小さく見えた。

「お墓は建てるな、って書いてあったんだけど」

先に死んでしまった罪はあるのであって、遺された者には何かの形がどうしても必要だったのだと思う。墓碑にはただ、「ありがとう」と刻んであった。なんて酷い、馬鹿か。

休憩中

We'll be right back.

Photo: “We’ll be right back.” 2015. Las Vegas, U.S., Richo GR.

海外に出たら、周りは全部泥棒だと思って、荷物から絶対目を離すな。と教わった気がする。

でも、道ばたにガッツリ抜け殻が置いてありますけど。見回しても持ち主居ないし。
現地の人から見ると、これは盗まれない類のものなのか?


ラスベガスのメイン通り、ラスベガス・ストリップ。休憩中なのは本体の方か、あるいは抜け殻の方か。