土手の上で、花は一斉に咲いていた。草木が春を纏っていた。
この瞬間のために、誰かが装わせたかのようだった。
現像が上がってきた翌日、僕はそのうちの何枚かを印刷し、クリアファイルに入れて出かけた。ちょっと試してみたかったのだ。
その人に、三枚並べて見せて、全く何の迷いもなく選ばれたのは「This one!」この写真だった。日本的憂い、と僕が勝手に思っている写真(下の方に載せてある写真だ)はダメだった。一押しだったのだが。
なるほど、見た目は日本人として動いていても、英語が基本思考言語になっている人の感性は、どっちかと言えば、より explicit な表現を好むと言うことだろうか。谷崎潤一郎の陰翳礼賛も形なしといったところだろうか。人の感性が膨大な文化的文脈の中で形成され、受け継がれていくと して、桜の綺麗さというのはどこまで普遍的なものなのだろうか、、。
「なんていうか、私の着てる服とかもこんな感じのがあったでしょ」(と、英語で言っている)
ああ、あの白ゴスみたいなやつですか。なるほど、ごもっとも。