じっと待つ

蛇口を、キュッとしめるように、何も書けなくなった。それは、良い兆候ではない。

書きかけのエッセイ10個、メールの返事、一文字も進まない。おまけに、原稿書きに使っているThink Pad 240の「T」のキーが壊れてしまった。(240の最初の方のロットを使っている方は要注意)キーごと、ポロッととれてしまった。しかし、「T」キーがな いというのは、とんでもなく不便だ。っていうか、「っ」とかが打てないので、文章にならない。


たまに読んでいた日記のサイトが、いきなり削除されていた。割と、精神的にぐちゃぐちゃになりがちな、自分を追いつめがちなサイトではあった。自分 の文章に誠実さを求める人が、最後にやることは、ページの削除なのかもしれない。僕も、何回かこのページを削除したことがある。その度に、復活させはし た。けれど、ページを消したという行為自体は、ページを復活させても、消えるものではない。ネットの日記やエッセイは、一見とても仮想的なものだけれど、 しっかり現実とリンクしている。日記を削除した彼女は、どうしたのだろうか。なんにせよ、あまり良いことが起こったとは思えない。僕はただ、たまにサイト を見ていただけの話だけれど、、。

僕自身のことを言えば、また書けるようになるまで、じっと待つ。別に、たいした文章を書いている訳ではないのだけれど、それでも、場つなぎのように文字を重ねることはしたくない。

そういう恥ずかしい態度は、きっぱりやめていただきたい

名古屋からの出張の帰り、間違って「こだま」の指定席を買ってしまった。

別に、変更できないというわけでもないが、こんな機会でもなければ各駅停車の新幹線に乗ることなどないだろうから、そのまま「こだま」で行くことにした。

(今回の「今日の一言」はあんまり意味無いです。最近、こういうのが多いけど、、)


「こだま」がホームに入ってくる直前、少しの時間をみつけて、立ち食いのきし麺をサッとすする。店内は、ぎりぎりの時間を使って、最後に名古屋名物を腹におさめようというビジネスマンで混みあっている。僕が食べていた、牛肉入りのうどんをみて、今入ってきたオヤジもつられて肉を頼む。肉うどんは一番高い、600円。

ホームの弁当屋で、味噌カツ弁当でも買っておこうかと思ったが、「幕の内しかない」とのつれない返事。もう、午後 8時になろうとしている時間だから、しかたない。買わなかったら確実に車内でやることが無くなってしまうので、1つ買う。でも、買った直後に、丁度売店への弁当の配達とすれ違った。惜しい。


名古屋から新横浜まで、図らずも「世界の車窓から」状態である。車内は、当たり前だがガラガラ。窓際に一人ずつ人がいるぐらいで、とてもゆったりしている。「こだま」を使うと、名古屋から新横浜まで2時間半かかる。行きは「のぞみ」で1時間半かからずに来たことと比べると、全く違う旅。

たっぷり長いこの時間をどうしたものか。ホテルから持ってきた新聞を読むとも無く読み、幕の内弁当を食べながら、やたらに時間をかけてビールを飲んだ。僕は、別にビールが好きということでもないのだが、最近は「ビールを飲むという状況」がなんとなく好きで、気に入っている。ビールを飲むと言うのは、他の酒を飲むときとは、少し意味が違う気がする。「仕事終わったよなー」そういう区切りが、カタチとして出てくるような感じ。さて、渋々買った幕の内では あったが、存外に丁寧に作られていて、好感がもてた。酒のつまみに、弁当を食べるような輩には、かえってこういうものの方が、好ましいかもしれない。


ゆっくり食べても、無くなるものはなくなる。車内販売で何か買うことにする。腹は一杯だが、とにかく暇だ。

僕にとって、新幹線の車内販売のベストメニューというのは、文句無くサンドイッチだ。別に美味いようなものでは全くないのだが、小さい頃に新幹線に乗るたびに食べていたから今でも頼む。(本気で美味しい車内販売を求めるなら、浜松あたりで売られる鰻弁当が良いらしい)今日もサンドイッチは不味かったが、やはり新幹線ではこれを食べる。胡瓜が生臭いのも、ビールに合わないのも、いつものとおり。

呼び止めた車内販売のオヤジがとても良かった。どう見てもカタギには見えない。40代前半だろうか、白髪混じりの伸びきったパンチパーマ。巨大なもみ上げ。着ている制服は、くたびれてよれよれ、普通なら、気が滅入るような代物。しかし、夜の疲労と倦怠の渦まく新幹線の中で、黙々とビールやつまみを売る彼の姿に、僕はなんとも言えないプライドのようなものを感じた。きっとはやくに離婚していて、娘二人を男手一つで育てているに違いない。夜遅くの車内販売はハードな仕事だが、彼は家族のために頑張っているのだ。過去からきっぱり足を洗って、、と、100%僕の勝手な想像なので、本人にはいい迷惑だな。でもそんな雰囲気の人ではあった。

領収書を頼んだら、手元に無いからと言って、嫌な顔一つせずに後からわざわざ届けてくれた。とても親切。


豊橋あたりで、小うるさい3人組みが乗り込んできた。訛りの感じからして、ドイツ語圏の外人2人。それを案内している、20代後半の日本人女性1人。会話は、怪しい英語で行われている。それまで、静かで快適だった車内に、少しだけ不穏な気配。案の定、なんともうるさい。日本人の女の得意げな(しかも巧くない)英会話が、静かな車内に響き渡る。

その連中が、もみあげの彼の車内販売を呼び止めた。ビールは無いのか、なんだ、かんだとやっている。バカ女の誇らしげな同時通訳が入る。(TOEIC 500点ぐらいか、、)
「コーク、あ、コーラ」
「あらら、私英語で言っちゃったー(原文は怪しげな英語)」

そういう恥ずかしい態度はきっぱりやめていただきたい、と思った。しかし、そんな奴らを相手にしても、彼は親切だった。僕の想像では、彼はきっと4ヶ国語ぐらいはペラペラなはずで(昔、禁輸品を買い付け、密かに横浜港で陸揚げしていたのだ)、その気になれば全てドイツ語で対応できるはずなのだが、 礼儀正しい彼はそういうことはしなかった。


いつの間にか眠っていた。電車はもうすぐ小田原に着こうとしていた。新横浜まで、残り20分。ビールは買いすぎて、残りを全部飲み干すには、少しほねが折れた。

冬の冷気

冬が体にしみ込んでくるのを感じるこの時期は、僕にとっては容易い季節ではない。

冬の冷気。冷たく凍えた空気を吸い込むと、鼻の奥にキンと響く痛みを感じる。自分が生き物であることも忘れてしまう、人工的な生活。それでもこの季 節、それを感じる瞬間が必ずある。僕は比較的、季節の変化に従って、リズムを合わせながら生活している。好むと好まざるとにかかわらず、そういうものにと ても影響を受ける。
「季節の無い国に住んだらどうなるの?」と訊かれることもある。どうなるのだろう。季節感と言うのは、街のデコレーションとか、人々の装い とか、そういった世間の雰囲気によく表れる。テレビの CM が秋一色に染まり始めて、秋だなー、と思うことだって、多分にあるだろう。しかし、そういうものとは関係ない、ある種のリズム。

樹は、夏の間に葉に蓄えた葉緑素を幹に吸い上げ、紅葉する。この季節、人も、大切なものを中のほうに引っ込めてしまう。季節は巡り、僕も同じようなことを繰り返しながら進む。


出掛けに目にした初秋の祭り。露店の煙と、喧騒。帰りのバスから見た同じ場所は、もうひっそりと静まり返っていた。祭りの跡形は、何一つ残っていなかった。透明な空気が、黒々した闇に満ちた。

長い冬が来る。とても長い。