今日は肉の日なので、肉の画像を載せておきます。
カテゴリー: フォトエッセイ
神津島
「行き先が、神津島に変更になりました」
というメールが探検部から送られて来たのは、僕がキャンプ道具一式を背負って、既に家を出た後だった。船が出るのは日の出桟橋。うーん、あんなところから伊豆諸島行きの船が出るのだな、と思っていたら、それはがせネタであった。
出港に遅れそうになって、60リットル近い荷物を背負って、息を切らせながら日の出桟橋に着いた僕を、夜の海を眺めながらロマンティックな雰囲気に浸っていたカップルが不思議そうに眺めた。
「えーと、船はどこ?」
竹芝桟橋を出発した(そう、日の出桟橋ではない)船は、難民船のように甲板にまで人を満載し、翌日の午前10時、最後の寄港地神津島に到着した。海 の色が、違う。淡いターコイズの波は美しいが、波頭は高く、外洋の荒々しさを感じる。島の地形は険しく、湾を望んで切り立った岩山がそびえる。
「必ず手すりつかまって下船してください」
と繰り返し注意されながら、大きな荷物を背負った、サーファーやらキャンパーやらが、揺れるタラップを降りていく。家で荷造りをしている時には、不安なぐらい荷物が巨大になって困惑したが、こうして見れば僕の背負っているのは比較的小さなザックに見える。
桟橋に降りると、島に来たときに感じる、島そのものの力みたいなものに触れる気がする。蝉が一気に鳴いて、船から下りた乗客は眩しそうに水面を眺め、慌てて帽子を被る。風が強い。
「釣れそう?」
と釣り隊長に質問が飛ぶ。明日の朝食は、今夜の釣果にかかっている。海は澄んでいるが、魚群までは見えない。
ここは夏のまっただ中だ。
友人の死
友達が死んだ。嘘みたいな、本当の話だった。
何かの勘違いじゃないのか。白いシャツに、黒いネクタイを締めて、電話で教えられた駅に降り立った僕は、まだそう思っていた。案内係が示す xx家の文字には、見覚えが無かった。
生暖かい風が吹く大きな川を渡って、葬儀場に着くと、大きく彼女の名前が書かれていた。なんてこった、と心の中で呟いた。
花に溢れた大きな祭壇には、彼女の写真が飾られていた。そういえば、何故か写真写りが良くない子だったのだけれど、その遺影はちゃんと、彼女の綺麗さを表現していた。綺麗で、頭のよい子だった。共に大学時代を過ごした、同い年の友達の葬式は初めてだった。
通夜振る舞いで、半月ぶりに口にしたビールはとても苦く、久しぶりに会った友人達との会話は、途切れ途切れだった。
よろしければ、一目、と夫だった人に促されて、祭壇に再び歩み寄ったものの、苛立ちのような、理不尽さのようなものがこみ上げてきた。ハーフ?と良く訊かれていた、彼女の白い肌はいつもと変わりなく、ただ目だけを固く閉じていた。
彼女は死んでいて、僕は生きている、そう強く感じた。
夜のまどろみから、急にたたき起こされたかのように、意識だけがハッキリとしていた。