それでも

久しぶりの実家の風呂には、庭で取れた柚の実が、沢山浮いていた。湯船につかりながら、湯気に煙る薄暗い照明を眺める。

この一年あまりの時間は、僕にとってとてもつらい時間だった。ちゃんと何かを書くことも、できなかったし、意味のある何かを語ることも無かった。


いままでの人生の中で、僕に降りかかってきた、酷い物事の大半は、どちらかと言えば避けようのない運命のようなもので、それを耐えることには慣れていた。けれど、自分で選び取ったことと、それに対するいろいろな苦しさに立ち向かうことは、あるいは僕にとって初めてのことだったのかも知れない。

暗い夜は長く、探す物は未だ見つからない。途方に暮れている、といってもいいと思う。それでも人は、生きて行かなくてはならないし、そうした惨めな思いを恥じることはないのだろう。

この一年、あまり書かなかった。
それでも読みに来てくれて、ありがとう。

年の瀬

Photo: 2000, Kyoto, Japan, Nikon F100, Zoom Nikkor 35-105mm F3.5-4.5D, Fuji-Film, F.S.,

Photo: 2000, Kyoto, Japan, Nikon F100, Zoom Nikkor 35-105mm F3.5-4.5D, Fuji-Film, F.S.,

季節感もなにもなく、年の瀬。

仕事納めの日。いつもの月末と同じように、ほったらかしにしておいた精算やらをまとめてやって、いつものビストロに行って早めの晩飯を食べる。疲れているせいか、あまり喰えない。卵の薫製とか、そんなものを少しづつ食べる。
「もう今年は最後ですから」

と、主人が残りのケーキをありったけ盛って出してくれた。


年の瀬のある日。

京都、塀の上を見上げると、職人が松を整えていた。研いだ植木鋏が、鋭い音をたてて枝を刈り込んでゆく。高い空に、青々とした常緑樹の葉が清々しく、新年を迎える準備として、とても好ましいように思えた。

年々、薄くなっていく季節感。それは、僕が年をとっていくせい、だけではあるまい。


ちなみに、羊ページ管理者は年越しは、MXテレビ を見ております。あらゆる意味で、面白いです。

皆様、良いお年を。

注1. MXテレビ。東京周辺で主に視聴可能な放送局。ある意味恐いものナシ、失うものナシの企画力が凄い。また、日本でも数少ない、完全ノンリニアの放送局(だったはず)