その手があったか、Shure true wireless secure adapter.

ベスト・ワイヤレス・イヤフォンクエスト最終章、音質がベストなワイヤレス・イヤフォン、それが最後のピースだ。この半年に買ってきた長時間使用でも耳を痛めにくい骨伝導AfterShokz AEROPEX、あるいは、ひたすら利便性だけが高いApple AirPods Pro、そのいずれも、音質というのは言及すべきものではなかった。では、音質ベストのワイヤレス・イヤフォンはあるのか。いや、そもそもそれを求めるなら、ワイヤードで良いのでは無いか。

ところで、スタパ齋藤って何やってんだ?という話題がふと出た。このページでも過去に沢山のガジェットをスタパの記事に影響されて買ってきたが、そういえば最近あまり見かけない。でも、ちゃんと(昔ほどの更新頻度ではないにしても)連載は続いていて、その最新記事がまさに、このShureの新製品だったのだ。最近仕事で、Shure SM7Bを買ってみて、その品質に改めて感心したのだが、その不便さからほったらかしになりがちなShure SE535が、一気に輝く新製品が、ノーチェックで発売されていたのだ。


Shure true wireless secure adapterが何かと一言で言えば、ShureのMMCXを使う系統のイヤフォンを耳掛け式ワイヤレスにコンバートできる、Bluetoothイヤフォン・アダプタだ。そして定価は2万。アダプタだから、イヤフォン本体は含まれない。でも、このクラスのイヤフォンだと、線だけで普通に万行ってしまうので、アダプタで2万は高いとも言えない、むしろ安い(いや高い)、という感じになると思う。しかもAAC伝送対応、即買い。

この製品の良いところは、MMCXから先の伝送部分だけが製品化されている所。イヤフォン部分は、自分の好みのShureのイヤフォンが使える。いわゆる、Shure掛けと言われる、耳の後ろに配線を逃がす、特殊な付け方をするイヤフォンなので、耳かけ式のアダプタというものを、元々のイヤフォンへの加工無しに実現している。Shure掛けが生まれた時に、Bluetoothによる無線伝送というビジョンは無かったはずで、これはまさに偶然の産物だ。しかし、結果としては、安くはないShureのイヤフォンへの投資に対する、非常に長期的な保証を生むことになった。


製品としては、やっつけで作ったものでは無い事は明らか。まずサポートするcodecがatpXとAACの両方だ。パテントコストをけちってAACを無視する製品が多い中で、きちんとAACを、なんの売りにするでも無く当然のように入れてくるShureの凄さ。バッテリーの持続時間は公称8時間だが、もっと持つような気がする。構造上、外耳の後ろのスペースを使えるので、十分なバッテリーを収容できる容積があるし、実際容量が大きいと思われる。また、入力が無いときはアンプを切っている(音楽の出始めに小さいノイズが入る)事からも、かなり効率的に動いていると考えられる。充電器を兼ねるケースは、アメリカンサイズでお世辞にもコンパクトでは無いが、3回分のフル充電に耐える容量があるそうだ。24時間使えるのであれば、出先で困る事は無いだろう。

実際に使って見ると、Shureの高音質を左右独立のワイヤレスで使える事が、ここまで快適なのか、と驚く。AirPods Proよりは接続の不便さ(と言っても、普通のBluetoothデバイスの使い心地)があったりするのだが、音質が全く別次元なので、少し不便ながらこっちを使ってしまうことが増えている。これは凄い事で、iPhoneとズブズブにインテグレートされた便利さを、質による体験が凌駕しているわけだ。音自体は、Shureのイヤフォンの評価そのものになってしまうので、ここでは書かないが、極めてちゃんとした品質だと感じる。


じゃあ、Shureを持っていない人が、高価なShureのイヤフォンとこの製品を新たに揃える価値が有るのか?というと、個人的にはやはりあると思う。コンシューマー向けのプロダクトで、ちゃんとした音楽の製品というのはやはり少ない。デジタルの模倣は比較的簡単にできるが、物理的なノウハウや官能面でのチューニングが大きな意味を持つイヤフォンの領域でのShureのアドバンテージであったり、信頼性というのは一歩も二歩も進んでいる。

そして、伝送系は恐らく間を置かずに陳腐化し、製品型番がRMCE-W1となっていることからも、W2が将来リリースされるのだろう。しかし、その時も、間違いなくイヤフォン部分はそのまま使える。この陳腐化する部分と、普遍的な部分が分離されているというのは、まったく画期的で、入れ替わりの激しいデジタルの時代にも、いろいろな示唆を与えるだろう。

相変わらず、装着が面倒なShure SE535だが、聞こえていなかった音が聞こえてくる驚きは、やっぱり大事なのだ。

プラットフォーマーに握られる、Apple Music の6月2日

Apple Music
Apple Music

Apple Musicには、なんとなく入っていた。音楽を良く聴く時期もあれば、あまり聴かない時期もある。だいたい通勤時間、というのがそんなに無いし、地下鉄ではまともに音楽を聴くことは難しいので、コンスタントに聴く時間というのが無い。走る時は、Audibleを聴いている。

音質は、もう今はそんなにどうでも良くなった。クラスタ分析で、Appleが薦めてくる曲を聴いても良いし、Essentialsと名の付いたAppleのキュレーターが作るアーティスト毎のリストでも良い。リストは相当に金をかけて出来ている感じで、プロフェッショナルに良く出来ている。

そんな感じで、深く考えずに結構満足して使っていたのだ。が、それも数カ月前、あの6月2日までの事だった。その日、何気なくFor youで最近のプレイ履歴を見ようとしたときに、この画面が突然表示されたのだ。このメッセージは消せないし、閉じることができない。僕はその日、For youに連なる機能へのアクセスを完全に遮断された。


プラットフォーマーに握られるというのは、こう言うことなのだ。

送り手が選択した内容を、オルタナティブ無く、端末に表示する。このコンセプトは、AppleがMacintoshの発売時に、スーパーボールの合間に流したCMの元ネタ、ジョージ・オーウェルの「1984年」に出てくるテレスクリーンと何が違うのだろう?内容の話では無い。それが正しいのか、正しくないか、それは論点ではない。そうではなくて、僕が音楽を探す権利を、プラットフォーマーの独断で、選択肢無く遮断し、ある種のメッセージを僕の端末に表示する。一体、誰がそんな権限を許した?

多分、それを許容する条件がEULAのどこかに書いてあるのだろう。Agreeのボタンを押したときに、僕がその権限を与えたのだろう。(誰があの長いEULAを読んでいるだろうか。)しかし、その画面を見たとき、僕はその便利さ、快適さと引き換えに、自分が何を取引しているのか、それを一瞬にして理解させられた。文字通り、頭から水をぶっかけられたような、そんな気分になった。


翌日、何事も無かったようにApple Musicは通常に戻った。しかし、僕の中での違和感は消えない。この違和感は、このテクノロジーがリードする社会が続いていく限り、ずっと続くのだろう、という気がする。良し悪しではない、そういう事が、いよいよ表層に出てきたな、という気分の話だ。

雅叙園の茅葺き屋根

Photo: “Tofutei”
Photo: “Tofutei” 2019. Tokyo, Japan, Apple iPhone XS max.

目黒雅叙園の中には、ひときわ目立つ茅葺き屋根の古民家みたいなものが建っている。あそこに行く度に気になってはいたが、そこは仕事の現場だからあまり追求したことは無かった。

で、ゲストのテキサス人が、そこに行きたいと言う。一昨年ぐらいに久しぶりに日本に来て、彼は、そこで日本の魅力を再発見したと言う。それから、ちょくちょく、いろんな理由を付けて日本に来るようになった。朝から登壇のために詰めている雅叙園の中で、件の建物がどうにも気になっているようだった。

さて、あの建物は確かに行ったことがない。だいたい中に入れるようなものだろうか。何、調べたって?あれはレストランなのか。

やたらテンションが上がっている180cmオーバーのテキサスレンジャーを連れて、茅葺き屋根を潜る。予約必須みたいな気配を漂わせているが、試しに入ってみると、空いていた。


微かに香の薫りがする廊下を行き、やたらに大きな部屋に通された。螺鈿細工を柱から天井から、床の間の違い棚にまで施した、実に豪奢な内装。これは凄い、と日本人の僕は思った。彼は、どう感じただろうか。

メニューはテキサスっ子にも良さそうな、すき焼き御膳的なものを選んだ。器も、盛り付けも、サービスも、こういうゲストを連れている人にとって、そうあって欲しいと思うものだった。味は外さない、結構なもので、多分初めてあらたまった感じの(それまで居酒屋ぐらいしか連れて行かなかったので)日本料理を前にして、彼が嬉しそうにしているのを見て、僕も嬉しくなった。


それから1年以上が過ぎて、当然アメリカから誰かが日本に来るという事は無くなった。彼も来日を希望していたが、そうもいかないまま、時間が過ぎた。アメリカの会社には、定年というものは無いと聞く。そんな彼も夏の終わりに引退を決めて、お別れのメールが来た。残念だな、とは思ったけれど、この業界で成功裏に引退出来るのは良いことだ。

螺鈿の燦めく部屋で撮った、彼の写真を送っておいた。せわしないランチだったが、僕にとっても良い思い出なのだ。