僕をひっぱたいた女

僕をひっぱたいた女は、ママになっていた。とあるパーティーに、彼女は息子を連れてやって来た。

久しぶりの仲間と会って、ママはおしゃべりに、どこかに行ってしまった。息子は、まったくそういう事に慣れていない僕の両腕に預けられることになった。

それでも、全く落ち着き払った息子は、動じる気配を見せない。パーティー会場のシャンデリアを見上げながら、ヒカリモノ好きのメンズ 0才は目を輝かせていた。なるほど、でかいシャンデリアの下に移動すると、更に目が輝くわけだな。


後から聞いたら、彼女は皆に「あれは旦那?」と訊かれて、めんどくさくなったから、「旦那みたいなもの」と説明したそうだ。

めんどくさがりすぎだ。

注:「私のイメージで」と同じ人です。

それはウォーキングではない

Photo: 山間の紫陽花 2009. Tokyo, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)
Photo: “山間の紫陽花” 2009. Tokyo, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

俺は、ウォーキングを趣味にすることにした。

友人が、そう高らかに宣言したとき、それが近々実行に移されるであろう事は予想できたし、それに巻き込まれることも容易に推察されるべきであった。

しかし、いくらなんでも、明日行くことはあるまい。


木の根っこを足がかりに、沢筋を登っていく。これは、ウォーキングなのだろうか?いい加減なキーワードで検索された、いい加減な目的地は、ウォーキングと言うにはいささか勾配が急であり、すれ違う人々と挨拶を交わしてしまう点では登山に近かった。

午前5時に起きて友人の指定した駅に集合し、ひたすら電車に揺られ、山々に囲まれた中央本線のとある駅に着いたとき、ここがまだ東京都であることはにわかには信じがたかった。駅に据え付けのSuicaリーダーがあることに驚いたが、リーダーがあるだけで、あの無愛想なゲート式の改札は無かった。

最初の(そして最後の)コンビニで唐揚げとおにぎりの弁当を買う。丁度屋久島の山を登ったときのように。


屋久島、確かに、我々は共に屋久島の山を登ったこともあったが、それは随分前の話だし、第一これはウォーキングではないのか。道は直ぐに険しくなり、人家は無くなり、鈍重な都市の河川である多摩川は、清冽な山の源流の色味を帯びて流れている。

東京は広いなぁ、というのが感想。山の稜線まで「ウォーキング」して、雑木林が開けると、一面に紫陽花が咲いている。街で見るのとは違った、生き生きした、濃い紫陽花だ。なかなか、ウォーキングもいいなと思う。

で、このまま隣の山まで行くんですか?え、もう帰るの?

ぺたりネコ

夜がすっかり蒸し暑くなって、ぺたりネコの季節になった。


裏路地を歩いていると、居酒屋の看板の裏でぺたりしている。仕事がやっと終わって、さて、これから遅い夕食でも食べに行くかと言うところなのに、こちらは夕食は終わりましたという顔つきで、グルグルしている。

日陰のひんやりしたアスファルトに、ぺたり、動かない。頭をぐりぐりすると、尻尾だけが左右に動いたよ。

注:野良と戯れた後は、手を洗いましょう。