マラッカ海峡

クアラルンプールのホテル、朝七時。
荷物は全部パックして、朝食を食べに降りる直前。南国の朝日はまだ弱く、少し雨が降っている。

使わなかったスーツのおかげで、バックはぱんぱんになっている。友達というにはおこがましいけれど、なんとなく心が通じるような相手が出来たことが、あるいは今回の一番の収穫だったような気がする。言語も人生も全く違う相手でも、技術に対する情熱とか、何かの共通点があれば、いろいろ分かることは多いのだと気づいた。

日本までの直行便は夜にしかなくて、それまでの時間を使ってマラッカに行ってみようと思う。
僕はもちろん、マラッカがマレーシアに属していることを知らなかったし、昨日の日中まではそこに行こうとも思っていなかったのだから、少し不思議な気分だ。

海峡を眺めることはできるのだろうか?眺めたらどんな気分だろうか?

ホテルの朝食はとてもバラエティーのあるビュッフェスタイルで、味も文句のないモノだけれど、一週間食べ続けていると、体が受け付けなくなってくる。昨日の夜、中華街の雑多な店で食べた、3分で出てきたチャーハンとか麺とか、そういう類が、不思議と美味しかった。

さて、カメラの充電も全て終わった、行ってきます。

夏の羊はドッペルゲンガーの夢を見るか

Photo: rabbit brothers 2010. Tokyo, Japan, Ricoh GR DIGITAL III, GR LENS F1.9/28.
Photo: "rabbit brothers" 2010. Tokyo, Japan, Ricoh GR DIGITAL III, GR LENS F1.9/28.


ビアバーのトイレの扉を潜るとウサギ。

「よっ」
「こんにちは」


あ、ウサギだ。


「最近よく来るね」
「ビール美味しい?」


ん?二回しか来たことないよ


「もっと来てるさ」
「そっくりだよ」


え、そんなバカな


「夏はね、そういう似たのが出るんだよ」
「知らないうちにね、そっくりの自分がね」


なんか気味悪いな


「なんてことないよ」
「ビール飲んでるだけだしね」


なんだそうか、じゃあ気にしない


「でも、気をつけろよ」
「財布のお金減ってるでしょ、知らないうちに」


俺が払ってるの?そりゃないよ

WordPressは人の文章を変えるか

WordPress に完全に切り替えて、三ヶ月。

退路を断ったというのもあるし、これ以上、手動でコンテンツを維持し続けることがもう無理になったというのもある。


以前の羊ページは blog と手動更新の静的ページを分けていたのだけれど、その区分けを無くした。昔の記事が合わせて 1,200程あったのだけれど、それも一緒にしてWordPressに移行してしまった。自分なりに、blog と静的ページは書き分けていたつもりだったのだけれど、その垣根を取り払ってみると、かえっていろいろ面白い気がした。

同時に、地域で分けていた旅行記も、WordPress のタイムラインの上に並ぶようになった。カテゴリという形で、旅行記の体裁は残るけれど、年月日の流れの中で、旅行記を把握することもできるようになった。自分の 15年を、そのような角度から俯瞰するというのは、想像以上に面白い作業だ。

道具によって、人の文章は変わるのだろうか。実際にやってみて、変わる、それが今の感想だ。


先週、MIT メディアラボの石井さんの講演。最後の Q&A の中の、「表現されていない思考というのは、存在しないと同義だ」という言葉が印象に残っている。僕の個人的な意見は又違うのだが、そこまで厳しく捉えるか、ということに感心し、戦慄に近い印象も覚えた。Demo or die. と言われるメディアラボならでは、といえばそれまでだが、表現することというのは、とにかく出してみることだ、というシンプルなメッセージだと思う。

WordPress のような CMS は、HTML をカリカリ書くのに比べると、publish することに対する敷居が低い。僕はどちらかと言えば、完成度の低い文章は出したくないし、気後れしてお蔵入りにした文章も今まで数知れない。しかし、表現するのであれば、完成度とか、わかりやすさとか、そういうものにはやはり拘泥してはいけないのかもしれない。

岡本太郎とか、そういう人も著作では同じ事を言っている。まず、自分の表現をしてみろ。


WordPress の更新作業の手軽さと、デザイン変更の容易さは、「なんとなく更新できてしまう」という環境を提供する。編集画面のエディタさえ自分好みにカスタマイズ可能なのだ。それによって、更新頻度やコンテンツの重さ、のような物は明らかに変わった。いままで時期を見計らって寝かせていたようなトピック、あるいは、形になりきっていないような物でも、特に恐れることなく publish するようになったのだ。

変わった事は良かっただろうか?少なくとも、必要ではあった。それは確かだ。