記録的にジンジャーエールを飲んだ月

その時、多分深夜だったと思う。病室の天井を見上げたときに、ああ、これは生きるか死ぬかの所に来ているな、とハッキリと分かった。意外と人の生き死にというのは軽くて簡単なものなのだな、という奇妙にあっさりとした驚きだけがあった。残念ながら、人の生き死にに、重々しい筋書きというものは用意されていないようだ。

もちろん、人類の生き死にの数だけそうした思いがあって、そんな感想には何一つ新しいことは無いのだろう。その時、iPhoneは手元にあったけれど、羊ページはドメイン移管の間で動いておらず、そんな月並みな感想を残すことも、できなかった。幸い、こうして戻ってきたのだが。

後日、産業医には「あなた、日本だから助かったんですよ。普通死んでます」と言われて、案外自分の確信というのは、当てになるんだな、と納得した。


2019年の12月は、僕が記録的にジンジャーエールを飲んだ月として、記録されるだろう。主に、このサイトに。退院して以来、酒を飲まずになんとなく過ごしてきた。そうして、飲まない事で生まれる「時間」が凄く大きいことに初めて気がついた。なにせ、飲み会から帰っても、そこから何でも好きなことができるのだ。なにせ、飲んでないから。そうして、忘年会シーズンを迎えたのだ。

普通に飲み会には行って、忘年会にも行って、サシで飲みにも行く。ただ、これまでと違うのはジンジャエールを飲んでいると言うことで、色んな店の色んなジンジャーエールを味わう事になった。ウィルキンソンの辛い方を、瓶で出してくれる所もあるし(わざわざストローを挿すのは止めて欲しかったが)、正体不明の甘い炭酸水みたいな所もあった。


そんな感じで、その日は、12月に入って何回目かの忘年会的なディナーに出席していた。

「〆のご挨拶、お願いできますか。」

完全にお客さんモードで、何のプレッシャーも無く、僕は気楽にパンに山盛りのバターを付けたり(酒を飲まないと体重は増えない)、白身魚のカルパッチョ(真っ直ぐなメニューで好ましい)などを食べていた訳だが、いきなり耳元でそう言われて、ええっ、という気分になった。いやいや、他にいくらでも居るでしょ?

「この場では、その、、最高位なので、、」

勤め人の世界は、例え外資であっても、いや外資だからこそかもしれないが、軍隊的組織構造とヒエラルキーが存在していて、バター付きパンを持ったまま周りを見回すと確かに、肩書き序列で言えば、、、本日この場に居る士官は小官だけでありますか。。


Simplenoteを立ち上げて、急場でトピックを考える。キーワードだけ書いて、あとはアドリブで行くしかない。テーブルの割に沢山配置されて暇を持て余したホールスタッフが、ひっきりなしに新しいジンジャエールを持ってきてくれるので、飲み物には困らない。5つ、キーワードをひねり出して、マイクに向かう。

宴会の〆で、スタンドマイクの前に立つって、あまりない経験。なんとなく、他人事として見てきた風景を、自分の目から見る。FPSゲームのような、そんな感覚。あるいは、病棟で天井を見つめていた時と同じ、他人事だと思って居た舞台に、自分が立っている奇妙な違和感。

 

これまた意外な発見は、酔った会場を相手に素面でスピーチするのは、実は難易度がぐっと低いという事。

スナック しがらみ

Japanese Snack in Thailand.

Photo: “Japanese Snack in Thailand.” 2017. Thailand, Apple iPhone 6S.

「しがらみ」それが、店の名前。人生のしがらみは、実にここバンコクにまで、しみ出しているようだ。


ゴミゴミしたソイの奥の方、3階建てのビル。1階が日式の居酒屋「みちづれ」で2階は謎、3階がスナック「しがらみ」。スナックは、別にいい。ソイに溢れる熱気と喧噪にウンザリした我々には、普通の居酒屋で十分じゃないか。いや、普通の居酒屋がいいんじゃないか。

店は意外にも奥に広くて、鮨屋のような長いカウンターまである。座ると、ネタケースに転がる、目が充血しきった鯵のような鯉のような地魚と目が合う、この店で生ものは無理だ。


メニューには、親子丼とか、牛丼とか、ベーコンエッグ丼とか、うな丼とか、居酒屋らしからぬものも並ぶ。注文したら本当に出てくるんだろうか。恐ろしく暇そうな店員が、近くの席に座ってくる。連れの一人が旅行ガイドを手に、カタコトのタイ語を操って女性店員に話しかけるのはまあ、良いとして、店員の視線がだんだん怪しくなってきているのは気のせいか。

ちなみに、3階のスナックを見せてよ、と言うとホールに居た女の子達がゾロゾロと着いてくる。つまり、1階の居酒屋みちづれも、3階のスナックしがらみも、スタッフは全く同じであり、出てくる酒も同じであり、スナックと言いながら日本語は全く通じないし英語も無理でタイ語ができないと会話不能、というすさまじい業態であることが判明した。

※しかし、その価格の安さと静けさから、連日この店に行くことになった。業態に怪しさは無いので、女性も安心。と言うことは、あの店員の怪しい視線はより深刻な意味を持っていたのかもしれない。

故郷に還った店

Photo: “Lunch plate.”

Photo: “Lunch plate.” 2019. Okinawa, Japan, Apple iPhone XS max.

その店は、もともと下北沢にあった。沖縄料理の店だ。

大学時代に、いろんな事情で沖縄の歴史とか、そういうものをいささか勉強したのだけれど、日常的に沖縄出身の人と話すようになったのは、会社に入ってからだ。僕が最初に配属されて、最初に与えられたパーティションの斜め後ろが、沖縄出身のMさんだった。

僕よりも、多分10歳ぐらい上だったように思うが、彼について飯を食いに行くと、いつもなんだかちょっと変わった所に連れて行かれた。新宿西口の喫茶店ハイチのドライカレーとか、豚珍館のメンチカツだとか、なんというか、学生が晩飯に食いに行きそうな所だ。


そんな中で、唯一飲み屋っぽい所に連れて行かれたのが、下北沢のその店だった。沖縄出身のスタッフが切り盛りする、地元の料理を出す店だった、と思う。実のところ、細長い店のカウンターを、ボンヤリと覚えているだけで、あまり記憶が無いのだ。その店が出す沖縄料理は、本土向けにアレンジされたものではなくて、ちゃんとした沖縄料理が出てくるのだ、とMさんが力説していた事だけ覚えている。だいたいが、何かを力説するようなタイプでは無いのだが。

数年前、店が閉まるという話を聞いた。故郷、沖縄に帰るのだという。僕は再びその店に行くことは無く、しかし、店の名前だけは覚えていた。ウチナーグチの、ちょっと変わった響きだったせいだろう。


それから数年、幾つかの偶然が重なり、首里の込み入った裏路地を歩いて、沖縄に帰ったその店を訪れた。店を案内してくれたのは、やはり10年ほど前に故郷に帰ったMさんだ。店の人の顔を、僕はもちろん覚えていない。Mさんは、意外ときちんと店の人と連絡を取り合っていたのだろう。今でも常連として親しくしているようで、出張の合間を縫っての訪問に合わせて、店では豪華なランチを特別に用意してくれた。

なぜ、そんなに長く続くのか、よく分からないままに続く縁がある。Mさんとの縁も、そんなものの一つだ。多分、一度だって一緒にまともに仕事をしたことは無いのだ。それでも、すっかり白髪頭になったMさんと、今年もこんな風に食卓を囲んでいる。嫌いなものが、似ているかもしれない。物事を斜めに見る感じが、似ているのかもしれない。

お膳に並んだのは、どれも沖縄の家庭を代表する料理。自家製とおぼしきジーマミー豆腐も、タームの揚げ物も、ハッとするほど味の調子が高い。仕事の年期が、違う。ゆっくり、夜に来てこの味をまた確かめたいな、と思う。下手な海外よりも来にくい場所ではあり、そして、込み入った偶然が無ければ決して訪れることは無かった場所だ。そういう事が、存外貴重なものなんだ、という事に最近思い至るようになった。