“My name is” なんて言い回しは、今時のネイティブは誰も使わない。そんな話を聞いた。本当だろうか。今時のネイティブって何だ。日本語ネイティブ話者の日本語だって、随分振り幅はあるわけで、十分胡散臭い主張だ。
という事で、英語の先生に訊いてみる。答えは大変に意外、というかまったく意図していない話を聞くことができた。
実際、”My name is” も “I’m” も、どっちも言う、それが僕の英語の先生の答え。それはどっちでもよろしい。それよりも、自己紹介の時に、きちんと自分の名前のフルネームを言うかどうか、それが最も重要!と言われてしまった。
日本人には多いと思うが、僕の名前も結構長い。で、言いにくいだろうと思って、名字で通したりするのだが、それではそもそも 姓=フォーマル 名=カジュアル の使い分けにそぐわない。
そしてなにより、「発音が難しいだろう」という日本的配慮は相手にとって「大変に失礼」だと言うのだ。それは暗に相手の能力を見くびることになるし、勝手にバックグラウンドを推測することだと、たいそうご立腹。え、そこ怒るポイントなの?という気がしたが、理由を聞くとなんとなく納得。
つまり、日本人の名前の発音が難しいとは言っても、親戚が日本人かもしれないし、だいたい発音しにくい音は言語体系によって違うし、発音能力も人によって違う。そうした相手の背景を決めつけて、レベルを下げた対応を取るというのは、失礼。なるほど、説得力のある主張だ。
例えば、僕の名はそこそこ長いが、音の配列の関係で英語話者にとっては姓よりも発音しやすいらしい。それはまた新しい別の発見。自分のアイデンティティであるところの名前を端折られるのは、日本人が考えるよりも、相当に相手を見くびった行為に思えるようだ。中華系で、よくJhonとか西洋風別ネーム持ってる人を見るけど、そういうのはどう思うんでしょうね、というのは今度訊いてみたい。
と言うことで、正解は I’m フルネーム、もしくは、My name is フルネーム、両方OK。どっちにしても、フルネームが重要。そして、呼び方は相手が決める。もちろん、言語感覚は人によって違うし、英語の(言語の)正解っていうのは無いし、そのクラスタとかに寄っても違うだろう。でも多分、多言語多文化なビジネスの現場で英語を使う人にはこれが一つの正解な選択肢。それは確かだ。