シャオミ(小米) Redmi Note 3 が凄すぎた

Apple Store? No Xiaomi Store.

Photo: “Apple Store? No Xiaomi Store.” 2016. Taipei, Taiwan, Apple iPhone 6S.

4月、初夏。台北のシャオミ・ストアで Xiaomi Redmi Note 3 を買った。むろん、Dual SIMフリーだ。欲しい商品のカードを渡して、順番待ちのレシートを貰う。「どこで使いますか?」「台湾」それぐらいの質問で、あっという間に買えてしまう。「mi」と書かれた、オレンジ色の au的バッグに入れてくれた。日本でスマホを買おうとしたら、もっとウンザリする手続きだのなんだのが必要。こんなことじゃ置いてかれるな、日本。

台湾で使うなら、Asus も良さそうだが、Xiaomi の価格の安さと日本での入手のしにくさを考えると、トライしてみたかった。シャオミ・ショップの写真を送った人達の反応は「台北にも Apple Store 有るんだね、まあ、有るよね」みたいな、期待通りの緩いものだったが。とにかく、いろんなものの値段が半分くらいの感じで、買うつもりが無くてもテンションが上がる。

その脚で台南に向かう必要があったので、台北駅で SIMカードを挿して貰ってアクティベート。セットアップの過程で、なんか色々なものに Agree ボタンを押させられて、怖い。途中で Location も選べるのだが、未発売国である日本は選択肢に無い。リストされる国のセレクションが、なんというか西側ドクトリンからは乖離していて不安。しかし、海外専用端末と割り切れば問題は無い。


セットアップが終わると、LTE で何の問題も無く立ち上がる。使い勝手はほぼ iOS なので Android に慣れていない人にも優しい。英語UIで使って居るが、普通に日本語インプットメソッドも入れられるから大丈夫。しかし、メインの Google アカウントを入れる気には、どうにもならなかった。別アカウントを入れて、怪しいアプリも容赦なくインストールしていく。

現地アプリを使って見て、繁体字はやっぱりなんとなく分かる。天気、食事、地図ぐらいは繁体字でいける。特に、食べログ的アプリの「愛評生活通」がえらく便利だ。検索キーワードだって、なんとなく漢字をたたき込むと、なんとなく探せる。牛肉湯の店は、これで見つけたが大変良かった。

指紋認証の速度、液晶のクオリティー、UIの作り込み、どれもレベルが高い。そして、安い。台湾で シャオミ・ストアに人が沢山居る理由が分かる。


面白いのが、カメラの色のチューニング。Samsung のセンサーのようなのだが、赤の発色が恐ろしく主張している。これで豚の丸焼きなんかを撮ると、たいへんな質感になる。ロック画面の画像をスライドショー的に変更する機能もあるのだが、これで出てくる画像も、なんとも朱の主張する色。iPhone のコスモポリタン的なものとは対極の、色彩の文化的な違いを感じる。Xiaomi は中国本土の Apple 模倣者のように言われるが、根底の文化的なものは間違いなく中国大陸のものだ。

そういえば、赤外線ユニットみたいな黒い部分があって、mi remote っていうアプリを起動すると、、これリモコンなのか。実際に、多量のプロファイルセットが用意されていて、世界中の色んなものがコントロールできる。出張先の聞いたことも無いブランドのテレビとか余裕でコントロール。少なくともアジア圏の出張先のホテルで使えなかった事が無い。

普通にこれ、凄いね。

河は流れて

Over the entanglement.

Photo: “Over the entanglement.” 2016. Hangang River, South Korea, Richo GR.

実際に行ってみるまで思い至らなかったのだが、朝鮮半島には河が流れている。それも、北から南に。河の流れは国境には関係ない。

北朝鮮を源流とする臨津江は、板門店のあるJSAのあたりを流れ、やがてソウルまで流れ下る漢江に合流する。

この長大な河岸をくまなく警備するというのは、物理的に言って相当に無理がある。それも、異民族ならばともかく、見た目も言語も同じなのだ。24時間365日、驚くべきコストだ。戦争というのはそんな金のかかる事を延々と続けることで、押井守が何かの本で戦争のコストについて「札束をくべて焚き火をするようなもの」と言っていた事を思い出す。

そのような冗長なことを、規律を持って何十年も続けることが、本当にできるのだろうか。河岸には、監視ポストと鉄条網が延々と張り巡らされている。警備兵の姿は、こちらからは見えない。昔は歩哨が襲われる事もあったという。この長大な国境から、夜陰に乗じて韓国に侵入するのは、素人目に見ても不可能では無いように思える。

皮肉なことに、立入が制限された河は、人の手に荒らされずに自然の景色をたたえ、鷺のような鳥の姿を遠くに認める。人の都合も、彼らには関係が無い。

台南で君が代を歌う日、鎮安堂飛虎将軍廟

Mausoleum of Japanese Zero pilot.

Photo: “Mausoleum of Japanese Zero pilot.” 2016. Tainan, Taiwan, Richo GR.

タクシーの運転手に行き先を見せると、特に説明も無く理解された。それなりの頻度で、訪ねる人が居るのだろう。冷房の効いたトヨタ車で、日差しの強い台南の街を20分ほど走る。台湾にはトヨタが多い。

コンビニのある十字路に、鎮安堂飛虎将軍廟は有った。イメージとしては、なんとなく人里離れた廟をイメージしていたのだが、その由来を考えれば、市街地のど真ん中にあって不思議では無い。

「歓迎 日本国の皆々様ようこそ参詣にいらっしゃいました」と、日本語で書かれた横断幕が、僕たちを迎える。


この廟の由来については、wikiなどに書いてある。太平洋戦争末期にこの地で戦死した、旧帝国海軍の零戦パイロット杉浦茂峰兵曹長を祭る廟だ。日清戦争後に日本の統治が始まった台湾の日本に対する感情は、やはりアジアの他のどの国ともまた違っている。とはいえ、帝国軍人が祭られる廟が、国外にあることに驚いたし、一度訪れてみようとも思った。

台湾でのお参りの手順は、いささか複雑だ。火を灯した長い線香を持って、決められた順路を反時計回りで回っていく。要所要所で線香を挿すが、それは必ず3つずつというのを守る。そうして、神像の前まで来て、お供えの煙草に火を灯す。

飛虎将軍は煙草が好きだった。だから、亡くなって70年を超えたこの日にもなお、台湾の人々は煙草を供えている。もちろん、煙草も3本だ。羽田空港できっと若葉かなにかが手に入るだろうと思ったのだが、もうそんな銘柄は売られていなかった。メビウスではあんまりだから、せめて昭和の香りがするセブンスターを買い求めてきた。


「では歌いましょう」

そう促されて渡されたパンフレットには、君が代の歌詞が書かれている。CDプレーヤーから流れる曲に合わせて、君が代を歌った。最後にこの歌を歌った時の記憶は既に無く(キリスト教系の学校だったから、君が代はほぼ御法度なのだ)、自分がこの歌を台湾の人達と一緒に歌っていることに、いささかの驚きを感じた。

「では続いて」

“海ゆかば”を僕はだいたい歌える。軍人だった祖父の家には、鶴田浩二のレコードに混じって、ソノシートの軍歌が何枚か置かれていた。音が出る安っぽいプレーヤーをいじるのは面白く、軍歌の意味はあまり分からずに、夏休みに遊びに行った時に聴いていた。その記憶が、あっという間に蘇る。

“海ゆかば、水漬く屍・・”

海外で、大戦中の軍歌を、公共の場で歌うのは、まったく思ってもいない事で、日本国内ではほぼタブーであろうこうした事が、自然に続けられていることに、むしろ、ある種の歴史の継続性のような、言葉を選びづらいが、より健全な何かを感じた。歴史は続いているし、無かったこと、見ないふりは、出来ないのだ。


ちょうどお昼時。廟の人達が昼食に出かけるタイミングで外に出る。暑い日で、向かいのファミマで涼むことにする。アジアで大人気のぐでたまグッズを冷やかし、イートインコーナーからガラス越しに見るともなく廟を見ている。地元の人が歩いてきて、廟の前で立ち止まり、一礼してまた歩いて行く。

「私たちは、地元の学校で、子供たちこの歴史をずっと教えているんです」

それは、きっと深く根付いているのだろう。ジェット機で成層圏を飛んでもなお、東京から4時間以上かかるこの地が、かつて日本であり、そこに生きてきた人達が居て、歴史はその続きで流れているのだ。亡くなったときのパイロットの年齢は二十歳。日本の降伏まで、あと1年も無かった。