Lightroomがあれば、センスとかいらないんじゃ無いか

Fried tomato salad

Photo: “Fried tomato salad ” 2011. Tokyo, Japan, Ricoh GR DIGITAL III, GR LENS F1.9/28.

写真管理のソフト、幾つか試してみて、Adobe Lightroom 3 にした。王道と言えば、王道だ。

元々、Apple の Aperture が良いかなと思っていて、Mac を買ったら Aperture だと思っていたのだが、リモートの Windows ファイルサーバ上にある大量の銀塩のスキャンデータをそのまま管理する事はできなそうで、諦めた。インターフェイスもちょっと馴染めなかった。

使って見ると、Lightroomは、ローカル/リモート合わせて 2万枚オーバーのデータでもまったくへこたれず、もっさりもせず、安定している。元の写真データを壊す心配なくいじれる、非破壊型のエディットポリシーの安心感も手伝って、非常に満足して使っている。


フィルタの適用も驚くべき速さで(Core i7が速いのかもしれないが)最初は色々遊んでしまう。結局、よく見た気のするプリセットのフィルタで、よく見たような写真が簡単に出来上がる。グレインノイズも生成してくれるし、周辺光量落ちも簡単だ。だから、あっという間に銀塩味のあるっぽい写真だって作れる。

つまり、機材のノスタルジーや、こけおどしのフィルターは、まったく意味ないのだ。もしかしたら、センスやスタイルすら、意味ないかもしれない。元の写真の差だけが、決定的なのだ。

ちょっと飛躍するが、今ほど、自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分で撮る事が、大切な時代は無い気がする。結局、体感覚というか、そういう所の差異が、最後に来る。そんな気がしているのだ。

トラックの荷台

Dizzy city

Photo: “Dizzy city” 2011. Singapore, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX.

早朝。空港からホテルに向かうバスの窓から、見慣れない、光景を見る。いや、僕にはそれは異様な光景に見える。

トラックの荷台に座り込む、浅黒い肌と、彫りの深い顔立ちの人々。

多分、交通法規が日本とは違うのだろう。トラックの荷台に20人ぐらい、座っている。反射板付きのベストとヘルメット。服は普通のシャツ、そしてサンダル。大気汚染を避けるためか、目だけを出して布で顔を覆った姿の男も多い。


開発の進む湾岸地域に向けて、似たような労働者を乗せたトラックが、バスの左右にも、前にも、走っている。彼らが我々のバスに向ける視線は、一様に鋭い。

シンガポールは小さい国で、ITや貿易に強い、それぐらいのイメージしか無かった。しかし、もちろん、国はそれだけでは動かないのであって、Foreign Workerと呼ばれる建設業やサービス業に従事する外国人労働者が大量に雇用されている。

その意味では、シンガポールは非常に「発展している」のであって、安い賃金で手を上げる労働者が居る限り、例え、人口500万人足らずの国であったとしても、そこに海外の働き手が入り込んでくる状況は、日本と同じなのだろう。だが、ここまで露骨であることが、僕を怯ませた。


日中。街中を歩いていると、Foreign Workerとすれ違う。疲れ切った足取りで、目線は鋭い。

ふり返ると、彼も、街も、遙かに遠い。無限に、遠い。

ぼーっとしていることについて

銀閣寺 銀沙灘

Photo: “銀閣寺 銀沙灘” 2011. Kyoto, Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX.

最近になって気がついたのは、僕は、ぼーっとしているのが、大好きだ。ってこと。


世の中には、予定表を埋めないと気の済まない人というのが結構居て、そういう人にとっては、ぼーっとする時間というのは、予定と予定の間にできてしまった、納得のいかない隙間のようなものに見えるようだ。

「あの人暇なんじゃない?」そう言われることを、恐れているようにさえ見える。忙しいのは結構だけど、誰もが、ほんとにそんなに忙しいのかな。


そもそも、ぼーっとするために、働いているんじゃないのかな?

何を考えている訳でもない。何をするわけでもない、そんな時間がすぎるのは速い。何もしないで夕方。そりゃ、いくら僕でもそんな風に日が暮れた時は少し罪悪感を感じたりはするけれど、それ以上に、ゆっくり送れた一日が良かったと思ったりするのだ。