フィルムカメラでのこしていく

Re:S という見慣れない雑誌が置いてあった。

「フィルムカメラでのこしていく」、というちょっと変わった特集が僕の目をひいた。今、この時代にフィルムで撮ることの意味は何か、そこに何か大切 なことがあるのか。特集を読みながら、そういうことを考えた。今回は、フィルムカメラと、白黒フィルムの話を、とりとめなくしたいと思う。


デジカメ市場が拡大し、誰もがどこでも写真を撮っているような世の中で、カメラメーカーが相次いでフィルムカメラから撤退している。135フィルム (いわゆる、普通のカメラフィルム)カメラを広めたライカでさえ、次期 M8 はデジカメ(それも APS フォーマット)にしてしまった。デジカメやメモリカードの価格がどんどん下がっていく影で、店頭で売られるフィルムや現像処理の値段が上がっている。デジ カメは便利だ。でも、それは残る写真なのだろうか。Re:S で取上げられていたテーマは、写真のモノとしての永続性だ。のこすための写真、それはフィルムしかない。


Photo 1: 午睡 2006. Kagawa, Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX.

Photo 1: "午睡" 2006. Kagawa, Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX.

Re:s の特集の中で、編集者が偶然出会った、鳥取の写真屋さんの主人のインタビューが面白かった。
カラーを飛び越えて白黒写真なんです。ですから、個人的には、何度も言うんですけど、自分のものは白 黒でああやってのこします。で、完璧に処理さえすれば、100年近く持つ。100年はオーバーでも、とにかく自分としては自分の知ってる範囲の知識をやっ て自分が受けた白黒は最低 50年は退色しないように、って。*1

Photo 2: 香川の猫 2006. Kagawa, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Planar T* 1.4/85(MM), Kodak EBX.

Photo 2: "香川の猫" 2006. Kagawa, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Planar T* 1.4/85(MM), Kodak EBX.

モノとしての永続性だけではない。気持ちを残すモノとしての永続性が違うのかもしれない。最近、そう思うようになってきた。それをノスタルジーと言 うことはできなくもない。僕が載せているフィルムの写真にしても、最終的には CCD でスキャンされ、デジタル化されてしまっている。つまり、写真乳剤を媒介したデジタル映像と言えなくもない。

しかし、それでもあえて言えば、フィルムで撮った写真は、デジタルとは違う。


フィルムの話。

僕は、多分、なにかを残したくて撮っているわけではない。伝えたくて、撮っている。そして、フィルムとデジタルの違いは、永続性だけの話ではないと 思っている。デジカメは 6台ぐらい使ってきたけれど、やっぱりこれしかない、と思うような写真は一枚も撮れない。綺麗な写真はいくらでも撮れる。でも、これは、と思う写真は驚く ことに本当にただの一枚も無いのだ。

フィルムカメラは結構使った。出発は、よくある使い捨てカメラだった。サークルの合宿なんかで撮っていた。それが、たまたま海外に研修旅行に行くこ とになったのを機会にコンパクトカメラを買って、CONTAX T2 にアグファカラー(ネガ)で撮った。その思いもよらない良い出来が、写真を始めるきっかけになった。

Photo 3: 世界の中心で、愛を叫ぶ突堤 2006. Kagawa, Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX.

Photo 3: "世界の中心で、愛を叫ぶ突堤" 2006. Kagawa, Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX.

数年後、写真をちゃんと撮りたくて、ニコンの一眼レフを買った。しかし、一緒に持って行ったT3で撮った写真の方が、僕にとって価値があるように思 えて、Zeiss の一眼 CONTAX に買い換えた。それから、ずっと Zeiss 一眼とリバーサルフィルムで来たのだけれど、(その間、富士フイルムからコダックに乗り換えた、Zeiss にはどうしたって、コダックの方が合うのだ)、CONTAX の販売終了を機会に買ったレンジファインダー zeiss ikon でちょっとまた、僕の撮り方が変わったような気がする。


Photo 4: 突堤 2006. Kagawa, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Planar T* 1.4/85(MM), Kodak EBX

Photo 4: "突堤" 2006. Kagawa, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Planar T* 1.4/85(MM), Kodak EBX

白黒の話。

香川で撮った写真を見ていて、とても面白いことに気がついた。同じものを撮っているのに、自分の心に近いのはモノクロで撮った、zeiss ikon なのだ。例えば、このカラーの猫と、白黒の猫であり、このカラーの突堤と、白黒の突堤だ。一瞬見るならば、もしかしたら、カラーの方が綺麗なのだが、どう しても、惹かれるのは白黒の方だ。画角は違う、でもそれだけではない。同じ写真でも、文章を添えて、そうして、その時の自分の気持ちと見たモノにぴったり するのは、やはり白黒の方だった。

自分で撮った写真は、自分で分かるものだけれど、白黒で撮ると、更に自分の気持ちが出てくるように思う。僕は web には載せないけれど、人の姿も撮る。「怖い」と言われたことがある。凄くそのままを撮ってしまうことがあるせいだと思う。白黒で、本当によく見て撮ったと きの写真は、確かに、自分でも怖いくらいに思う。そんな色んな事があって、だから、大切なモノは白黒で撮ろうと最近思っている。


白黒の話を書いていて、沖縄で壕の遺骨収拾の写真を撮っていた写真家の言葉を思い出した。沖縄には今でも、無数の戦跡が残っていて、特に戦時中使わ れた地下壕には、今も遺骨が回収しきれないまま、残っている。その骨や遺品を収拾する作業を、彼はライフワークとして写真に収めていた。当時僕は、そんな ことにはたいして興味はなかったのだが、いろいろな流れがあって、彼の家に上がらせてもらって、囲炉裏の脇に座って、写真の話を聞いた。(そういえば、お お、CONTAX ですか、と驚かれた記憶がある)

その時、確かに彼はその光景を白黒で撮ると言っていた。なんでカラーで撮らないのか?と同行の誰かが質問して、白黒でないと写らないものがあるんで す、と答えていた。なんのこっちゃと、思って聞いていたが、それから 10年以上が経って、今ならば彼の言っていたことが分かるような気がする。

フィルム写真は、その場所の光を焼き付ける。だから。

*1 Re:S Re:Standar Magazine、藤本智士、パークエディティング 2006年, p14

我々、なんて居ない

Photo: ミル? 2006. Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX.

Photo: "ミル?" 2006. Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX.

「我々」と言ったとき、それが、我々ではない時代。
我々、なんて居ない時代。
文章を書いていると、とてもそれを感じる。


だから、自分のことを書こうと思う。自分が感じたことを書こうと思う。

ステーキの焼き方

Photo: パンとジンとカステラ 2006. Tokyo, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Planar T* 1.4/85(MM), Kodak EBX.

Photo: "パンとジンとカステラ" 2006. Tokyo, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Planar T* 1.4/85(MM), Kodak EBX.

猫をいじりに来いと言うことなので、猫をいじりに行く。

ジンを飲んだり、日本酒を飲んだりする。シウマイの焼いたの、なんかのカステラ、平目の昆布締め。


ステーキの焼き方を教わる。肉はあらかじめ冷蔵庫から出しておき、手で触ってみて、室温と同じになるまで肉を戻す。フライパンはよく焼いて、スーパーでもらってきた脂を溶かしておく。肉は焼く直前に塩胡椒する。思いっきり強火で、まず周りを焼く。安い肉の”ふち”にくっついた脂身は、肉を手づかみしてフライパンに押しつけ、特に最初に焼いてしまう。周囲に焼き目が付いたら、手加減せずに火を通していく。きちんとやると難しいし、こんなに強火で焼いて大丈夫かと躊躇してしまう。


「お客様がお酒を召し上がってるときなんかは、ちょっと味を濃いめに付けるんです」

なるほど。教わりながら、自分で焼いてみる。出来上がってみると、ちょっと塩味が強かった。焼加減は良し。ダイエーで、500円で買った肉とは思えぬ味。