検索エンジン

前にも話した同じネタを、知らず知らず話してしまって、苦笑い(もしくはあいまいな微笑み)をされている皆さん、こんにちは。羊ページです。


さて、羊ページに[検索機能]をつけてみた。誰のためというのではなく、自分のために。

実際、6年以上も書いていると、自分が何を書いたのか本当に忘れてしまう。
「コーヒーがいかに嫌いか」について書こうと思うと、実は前に結構書いていたり、あるいは、「ミッキーマウスって全然可愛くないと思うんだけど」ということは何度も述べたはずとおもいきや、一度も書いていなかったり。


何かを忘れる、ということは、「忘れたという事実の認識」さえなくなるということだ。当たり前のことなんだけれど、結構コワイ。人間の脳味噌は日 々、死んでいくというのに、記憶すべき経験はどんどん増えていく。忘れたって仕方がない。だから、Web に繰言を書いたって、まあ、いいんだが。しかし、それをコンピュータの力で補ってしまえるというのも事実。どっちが、自分にとって良いのだろう。

まあ、動作も(相当)速いし、羊ページの文章だけを検索できるので、もしかしたら便利かもしれません。皆さんも、気が向いたら使ってみてください。

注:石版とか、紙のメモとかだって、記憶の外部化ではあるんだが。

オレンジのベリーショート

北海道からの出張帰り、どっと疲れてバスの座席に座り込む。仕事はほとんど徹夜で、体中に嫌な疲れが残っている。東京の寒さのほうが、札幌よりもいやらしい。

バックパックを脇に置こうとして、お土産を入れたビニール袋の中身を、わらわら落としてしまった。通路に散らばる、六花亭のチョコレートやら、ご当地キティのストラップやら。

ついてない。情けない気分で、身を乗り出した時。


丁度バスに乗り込んで来た女性が、間抜けに転がったお土産達を、かがみ込んで拾い集めてくれた。
「あ、、ありがとう、ございます。すみません、、。」
僕は一瞬茫然とし、そしてオレンジ色に染めたベリーショートの後姿に声をかけた。
「いえ」
小さな返事が聞こえた。

24時間ぶりに眺める東京の街は、少し明るく見えて、「親切」ってコトバを思い出した。

南の島の星の砂 — Cocco の絵本

Photo: 伊江島伊江港 1995. Okinawa, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film,

Photo: "伊江島伊江港" 1995. Okinawa, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film,

Cocco の描く歌詞や絵はもちろん、凡庸とは一線を画していた。

それでも、彼女は歌を歌う人だった。彼女の歌声は、洒落ただけの空っぽの歌とは違って、言ってみれば、もっと美しくて、もっと深刻だった。しかし、彼女の歌手としての生活はいつも不安定で、自分の生み出したものに喰い尽されそうにさえ見えた。

2001年、Cocco はステージを去った。彼女は歌うことを、止めた。「絵本をつくりたい」残したメッセージはそれだけだった。復活コンサートも、なんの続報も、なにもなく、時間が過ぎた。一年半。

ある日、彼女の絵本が、本当に書店に並んでいるのを見たときには、とても驚いた。彼女が、たとえ何の手段によってでも、皆に向かって表現することは、再びあるまい、と勝手に思っていたのだ。


わずか数頁の、とても丁寧に描かれた絵本。物語は、幸せに終わっていた。そんな話を、彼女が描くようになったのだ。

カバーの裏に、思い切り笑っている Cocco の写真があった。そこは、太陽の降り注ぐ、夏の沖縄のようだった。彼女は還るべきところに還ったように見えた。


書籍データ:南の島の星の砂, Cocco, 河出書房新社, 2002, ISBN: 4309265847
参考文献:Cocco―Forget it,let it go SWITCH SPECIAL ISSUE, スイッチ・パブリッシング, 2001, ISBN: 4884180011
関連ホームページ:出版案内