Photo: 2000. Suzuka, Japan, Nikon F100, SIGMA 100-500mm, Fuji-Film
数百メートル離れたパドックから聞こえてくる甲高い音は、何かの管楽器に似ていた。規則正しく、ファン、ファン、ファンと、呼吸する様に。
やがて、ホームストレート正面のスタンドから、怒号にも似た歓声が上がり、最初の一台が、ウォームアップのためにコースに入った。音はすぐに遠ざかり、コントロールタワーの向こうに消えていった。
そして、1分後。僕の正面に立ちふさがる丘の向こう側から、歓声が上がる。同時に、金属音が響く。突然、シケインの奥から、低いシルエットのボディーが表れる。500mmの望遠レンズに、はっきりとそいつが映った。
爆音が、アスファルトとコンクリートウォールに跳ね返り、大気をビリビリ震わせた。一点の曇りもない、乾いたエグゾーストノートには、今まで聞いた ことのない「調子」があった。最終コーナーで、シフトアップ。そして全開。頭の中を、激しい爆発音が埋め尽くし、そして300Km/hで遠ざかっていっ た。
僕はファインダーから目を離し、呆然とマシンが走り去った方を眺めた。手には、押し損ねたNikonのリモートシャッター。なるほど、これがF1。 今にも雨が落ちてきそうな鈴鹿の空に、響いた音。人が作り出したエンジンというものから、ああいう音が出るとは、想像したことさえなかった。それは、20 世紀が生み出した、新しい音楽。
カーレース自体、僕は見たことがなかったのだが、会場で初めて、実際に目の前を走り抜けるF1カーを見て、明確に分かった。F1、それはつまり、極めて地道なエンジニアの仕事の集大成だ。
全てがカスタムメイドのF1カーに、決まった答えはないし、予定調和もない。未知のものを作るには、作り手に、センスと信念が無ければならない。素人の僕にさえ、フェラーリのエンジンが奏でる艶っぽい音と、メルセデスのエンジンから発せられるより金属的な音の区別が付いた。モノ作りの結果は誤魔化しようがない。それが正しければ速く、速ければ正しい。そして、答えは一つではない。フェアで残酷なルール。
そのエンジニアリングの技の全てが、音をつくる。鈴鹿の山に響いた26台のエンジン音。僕は、その音を作ったエンジニア達に対して、素直な賞賛を送り、そして、ある種の羨望を感じた。
5時間後。その楽器の演奏者たるドライバー達がマシンを降り、勝利の美酒に酔う時間。パドックでは、マシンの解体整備、あるいはマレーシアでの最終戦に備えたエンジンのチューニングが行われている。
スタンドでは、まだまだ居座り続けるつもりのファン達が、白熱灯の飴色の光に照らさたパドックの様子を見つめていた。今日、この鈴鹿で勝利を決めた フェラーリのパドック前には、深紅のツナギを着たメカニック達が集合していた。次の闘いに向けて、エグゾーストノートが響く。また、エンジンに火が入った。