HANABI

北野武監督の「HANABI」を見た。さっぱりしていて、いい映画だった。

失っていくことを描いた映画だったけれど、綺麗だった。


(内容をばらされたくない人は、この下は読まないように。ただし、筋が分かっても、別にどうという映画ではないが。)

不治の病におかされた妻。主人公で、元刑事の男は、現行強盗をして奪った金で、妻と一緒に旅に出る。

二人の会話はほとんど無いが、必要としあい、信頼しあっている空気がちゃんと伝わってくる。男はタフだけれど、妻が死んだら生きてはいられない、ということが何となく分かってしまう。


映画の終盤、男は、車のサイドミラーに、追っ手であるかつての自分の部下の姿を認める。

懐の拳銃に 2発、弾丸を込めて男は歩み寄る。
「もう少し、待ってくれ」

浜辺で凧を揚げる少女を眺めながら、男と妻は寄り添う。妻は二言、「ありがとう、、、ごめんね。」と言った。


カメラは海を、映している。銃声は 2発。男と妻で 2人、追っ手の刑事も 2人。しかし、物語の結末はあえて映す必要もないのだろう。

この終わり方は、不思議と、悲しくない。

息苦しさ

電車の中で、ふと息苦しくなった。

焦りとも、不安とも、苛立ちとも付かない気分が、気分と呼ぶにはあまりにもはっきりと僕を襲った。

行き場のない感情は、春の嵐のように突然、来た。


目の前のオヤジは、僕に覆い被さらんばかりの勢いで、立ったまま寝ている。僕は鞄とコートを抱えて、車両のはじっこの窮屈なシートに身を沈め、汚れた窓から隣の車両を眺めていた。

車内の空気はよどんでいて、日中の暖かさがイヤな感じのぬるさになって残っていた。

疲労と、倦怠を引きずった深夜の電車は、そんな感じだった。でも、それがあの息苦しさの原因だったとは思えない。


僕は、季節にとても左右される。

電車の中で感じた息苦しさは、閉じこめられた冬の季節が終わって、春が来たことに、僕の体が反応したせいかもしれない。

Macintosh Classic II

Macintosh Classic II がうちに来た。

なんじゃ、それは?というと、その昔、Mac が普及路線に方向転換を始めたころにリリースされた、昔ながらの一体型 Mac だ。Macintosh Classic, Classic II, Color Classic というシリーズになっていた。

余った Pentium 166MHz と引き替えに、友達からもらった。性能とかを考えると、もはやお話にならないのだけれど、コンピューターとしての貫禄では、僕がメインで使っている Windows NT マシンよりも何かを感じさせるものがある。

普通の Mac(Quadra とか)がまだまだ高くて、とても買えなかったころ、Classic は「頑張れば買えるMac」として、すごくインパクトがあった。僕は、Mac で小説が書きたくて、このマシンを買ったものかどうか、かなり迷った覚えがある。何かの懸賞で(確か、エッセイとか、論文とかそういうものだった)このマ シンの前身にあたる Classic が商品になっていて、応募しようかと思ったこともあった。

モニタは当然 9インチモノクロ、四角いマウス。昔のコンピュータだから、造りはしっかりしていて、iMac なんかよりも線が綺麗だ。ASCII 配列の日本語純正キーボードも、今となってはレアだ。

コンピュータの記念碑として、3台目の 68マシンとして、特に使い道もなく置いておくことにした。