四万十川の源流

Photo: 2000. Shimanto, Japan, Nikon F100, AF Nikkor 35-105mm F3.5-4.5D, Fuji-Film

Photo: 2000. Shimanto, Japan, Nikon F100, AF Nikkor 35-105mm F3.5-4.5D, Fuji-Film

それでも、測量的に「四万十川の源流」と言える場所はある。四万十川を形成する幾つもの水源。その中でも、最も標高の高い山にあるものが、人間の定めた四万十川の源流である。

その源流を目指して、ひたすら流れを遡る。川の体裁を為していた四万十は、いつしか、一筋の流れになった。遡上開始から2日目、河口から130Km。川はついに、ひとまたぎで越えることができるまでに細くなった。

本当の源流?

Photo: 2000. Shimanto, Japan, Nikon F100, AF Nikkor 35-105mm F3.5-4.5D, Fuji-Film

Photo: 2000. Shimanto, Japan, Nikon F100, AF Nikkor 35-105mm F3.5-4.5D, Fuji-Film

「源流っていっても、どれってわけじゃ、ないきねぇー」

地元の人びとは、口々にそう言った。四万十川を遡上して1日と半。最初は堤防によって囲まれていた川の両岸は、やがて田畑になり、藪になった。川のカタチはどんどんぼやけ、幾つもの流れに分かれ、そして僕たちは四万十川を見失った。

木も水も、人が名前をつけて初めて、「何か」になる。森も川も、人間が名付けてはじめて名前を持つ。この水の流れを、誰かが四万十川と名付けた。そして今日、四万十川は理屈としては確固として存在し、地図に載っている。

しかし、逆に言えば、地図に載っているから川だと思うわけで、実際には目の前に水が集まって流れる場所があるにすぎない。その流れがどんどん細くなっていった時、いままで揺るぎない存在に思えていた四万十川は、急にあやふやな存在に思えてくる。

本当の源流?そんなものはないのだ。

民家の裏庭

Photo: 2000. Shimanto, Japan, Nikon F100, AF Nikkor 35-105mm F3.5-4.5D, Fuji-Film

Photo: 2000. Shimanto, Japan, Nikon F100, AF Nikkor 35-105mm F3.5-4.5D, Fuji-Film

「おばあはもう1年前に死んだがよ。それでも、田んぼを放っちょくわけにはいかんきねぇ」

四万十川の源流を目指して、ひたすら車を走らせる我々には、もはやあてになる地図さえなかった。レンタカーのオフィスでもらった大雑把な縮尺の地図では、目の前の農道をどちらに折れればよいのか分からなかった。

そういう訳で、我々は間違った角を曲がり、間違った坂を上って、民家の裏庭に迷い込んだ。裏山から用水が引かれ、山肌に開かれた何枚かの田んぼに注 いでいる。息子達は、田んぼを捨てて都会に出ていった。妻は、去年他界した。だから、田んぼと家はじいちゃんが一人で守っている。

「田んぼは手入れせんと、虫がわくき」

母屋の軒先に、夏の花が咲いている。品種を訊いたが、多分地元の通称で教えてくれたらしく、よく分からなかった。多分、亡くなった奥さんが育てていた花ではないか、僕にはそう思えた。