春景

Photo: 春景1 2008. Tokyo, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EBX

Photo: "春景1" 2008. Tokyo, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EBX

早朝の堀端は、カメラを手にした人々でごった返していた。にもかかわらず、朝の冷たい空気と、ひときわ静かな桜の花のせいで、騒々しい気配は無かった。全てが、静かで澄み切っていた。


誰もが同じものを撮っている。誰もが美しい桜の姿を創造しようと、撮っている。奇妙な熱気の中で、人々はファインダーをのぞき込み、桜と自分だけの会話をしようとする。沢山の人が居るのに、誰もお互いを見ては居ない。ただ、桜に魅入られるようにシャッターを切っている。

僕も同じ事だ。浅ましいな、と少し思う。


結局、東京で桜が咲いて空が晴れたのは、この日のこの一時だけだった。上がってきたフィルムに写った桜の景色は、今までとは少し違っていて、それは、いつもとは違うレンズを使ったからというだけでは、無いように思えた。

イサム・ノグチ庭園美術館

Photo: 外から眺めたイサム・ノグチ庭園美術館 2006. Kagawa, Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX

Photo: “外から眺めたイサム・ノグチ庭園美術館” 2006. Kagawa, Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX

僕が香川に行った理由。

イサム・ノグチ庭園美術館。この美術館、事前に往復はがき(のみ)で抽選予約が必要。とても敷居が高い。イサム・ノグチは、彫刻家であり、身近な所では和紙で作られた光の彫刻「あかり」のレプリカを目にすることがあるのではないかと思う。


瀬戸内海に臨む湾と、それをとりかこむ山。美術館から見える山が、石切場になっていて、重機が岩を砕く音が響いてくる。イサム・ノグチが日本での住いとして選んだ牟礼町は、石の町だ。イサムの仕事場がそのまま美術館になっている。ツアー形式の観覧で、集合時間は決められており、小さな看板を頼りにし て、道を幾つも入ってたどり着く。観光バスが横付けするような、そういう観光地とは正反対にある場所だ。

少し早めに着いてしまって、のんびりとあたりの写真を撮ったりする。編み笠を被って、庭園の手入れをしている人を何人か見る。やがて、平日の午前中にもかかわらず、20人近い人々が、パラパラと集まってきた。


美術館は、野外展示場、屋内(土蔵)展示場、イサム・ノグチの住い、そして、庭園に分けられる。そこを、順番に回っていく。全部で 2時間ほどだろうか。そこに展示された作品の数は多く、そのわずかな時間では、とても見きることはできない。というか、受け止めきることが難しい。かといって、気軽に来られるようなロケーションでもない。もちろん、横目に石の塊を眺めてしまえば、あっという間に通り過ぎることも出来る。

僕たちのグループを案内してくれたのは、ちょっと年齢がよく分からない学芸員のような女性。小柄で、自然な痩せ方をしている。黒い髪と、知性を感じる黒い目。今でも綺麗だが、そこには年齢が現れている。可愛いのだけれど、近寄りがたい何かに心酔していて、距離感がよく分からない。そういう子が、学生時代には居たなと思う。こういう場所に、そういう人たちははまるのか、と変な感心をする。


イサムノグチの代表作、Enargy Void は、高い屋根の土蔵の中にしまわれている。たたきは少し湿っていて、ワラと、カビと、土の匂いがする。そういう純粋な日本の匂いの中に立っている、スウェーデン産の石で造られた、このコスモポリタンな芸術に、奇妙な違和感と親和感を感じる。3メートル以上の高さのある物体との距離を、僕は測りかねた。

そこに置いてあるのは、物言わぬ石の彫刻で、冷たく佇んでいるだけだ。しかし、この香川の空気の中で、眺めるその気分。とけ込んでいるというよりも、奇妙な距離感のある、気配。何なのだろう。


著作権の観点から敷地内で撮影は一切禁止なのだが、すれ違った「先生」風の初老の男はカメラを首から下げている。自分がカメラをしまっているのが、 悔しく感じる。なんというか、なんでも撮り放題なのだ。カタチがつくられているから、きっと幾らでも写真を撮ることができる。いくらでも、格好良く。でも、それは所詮自分の力ではないのだけれど。かといって、写真のどれだけが、自分の力だと言うのだろう。素人だから、彫刻の鑑賞眼は無いけれど、ファインダーを通して見てみたら、きっともっといろんなものが見えるのに。今、見きれないものを、あとで見返すことができるのに。そう思うと、悔しく感じる。


イサムが母のために造った庭園を最後に見る。崖を削り、土を盛り、湾を遠くに望むように設えた、それは巨大な彫刻だった。石と緑に囲まれた、急な丘である。その丘の麓に、石で造られた祭壇のような空間があって、切りたての瑞々しい色とりどりの花が一束、生けてある。実に、そこにだけ、色が溢れている。

僕は暫くその小さな生け花を眺めていた。石庭のように整備された彫刻の並ぶ展示場、県外から移築した作品展示用の土蔵、徹底的に改築された居室の内部。石で造られた小川が流れる、庭園。牟礼町の青空に融け込む石の柱と、Energy Void の奇妙な距離感。

そこにあるのは、執拗なまでの拘り。石の声をカタチに引き出す、流れを読む柔らかさ。しかし、融け込まないかたくなさ、僕が受け取ったのは、そういうことだったのだと気がついた。

旅の終わり

Photo: zeissikon 2006. Kagawa, Japan, Contax i4R, Carl Zeiss Tessar T* F2.8/6.5.

Photo: "zeissikon" 2006. Kagawa, Japan, Contax i4R, Carl Zeiss Tessar T* F2.8/6.5.

旅の終わり。

ホテルをチェックアウトし、荷物をフロントに預けて、少し街を歩く。飛行機の時間まで、まだ少しある。

うどんとか、鮨とか、なんとなく和風なモノばかり食べていて、ふとマクドナルドが食べたくなった。でも、こんな時に限って、マクドナルドが見つから ない。google に聞いてみると、瓦町の方に 1軒あるだけ。遠くて、とても行く気になれない。そういえば、駅のモールにロッテリアがあったような気がする。そう、ちゃんと見たわけではないけれど、記 憶の中にひっかかる。

昼食を買いに来る会社員で混むロッテリアで、ハンバーガーを買う。向かいの天ぷら屋で、天ぷらを一つだけ買う。香川独特の、平天と呼ばれる、平らな薩摩揚げのようなもの。ひどくノロノロとした店のオバチャンは、1つだけ天ぷらを買う僕に、酷く愛想が悪かった。


また港に行った。もう用が無くなった市街の案内図を草むらにひいて、腰を下ろす。酷く熱い。

学生風の4人の男女が、海を見ながらはしゃいでいる。留学生だろうか、西洋系の男が1人居て、皆でさかんにビデオカメラを撮っている。僕は、港の光 を、さして考えもしないでパシパシ撮って、そうして、最後のフィルムを使い切った。全部写真を撮ってしまうと、カメラもようやく役目を終えたような気がし た。思えば、旅の中でこれだけ自分に近く感じたカメラは、初めてかもしれなかった。


缶ビールを飲みながら、ハンバーガーと平天を食べた。ビールを飲みながら、どっちかと言えば、コーラの方が飲みたかったと思った。いつも、後から気がつく。街は平日の日中で、ごく普通に動いている。僕だけが、なにもせず、どこにも行かず、そこに座っていた。