たこ焼き

Photo: たこ焼き 2009. Chiba, Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

Photo: "たこ焼き" 2009. Chiba, Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

成田空港、夕刻。

「あれ、たこ焼き屋になってる。」

僕が、よく暇つぶしにつかっていた喫茶店みたいな店は、たこ焼き屋に変わっていた。そういえば、しばらく海外に行っていなかった。


久しぶりにパスポートを引っ張り出し、荷物置きと化したスーツケースを開く。TSA ロックに当然のように対応していないダイアル錠の解錠番号は、とっくに忘れてしまった。まあ、使わないし、いいか。最初、飛行機は MU という聞き慣れないコードの航空会社を提示された。モンゴリアン航空?そう言えば、重慶でローカルの航空会社を利用した友達が、いざ乗り込もうとしたら、 機体の前方が開いて大ショックだったという話しを思い出した。

そんなツポレフの輸送機に乗ってみたい気はするが、やはり JAL に変更する。Excel の持ち物リストを、今日風に書き換え、つまり銀塩カメラ関連の装備をデジカメ前提のものに書き直して、準備をした。出発の日は、あっという間にやってきた。


やけに中国語の音が多いなぁ、と思いながら 91番ゲートに進む。考えてみれば中国行きなのだから、中国語だらけのはず。クルーと機材は JAL だが、やっぱり MU のコードシェアだ。うーん、結局モンゴリアン航空、、。(注:正しくは、中国東方航空)僕が前に中国にいたのは、もうオリンピックの前の話で、混沌とした ゲート前の行列(のようなもの)に並んでいるとその押し出しの強さみたいなもの、率直に言ってしまうと、やかましくて、厚かましい、大陸の空気、そんな感 覚が蘇ってきた。

シートから離陸前の機内をボンヤリと眺めていると、旧正月を日本で過ごした、相当に裕福と思われる中国人達が、それぞれのお土産(それはソニーの耳 掛けヘッドフォンであり、日産の RV の巨大なラジコンである)を、ラゲッジスペースに無理くり詰め込んでいる。それらは、Made in China だったりしないのだろうか。

機体が離陸したのは、18時過ぎで、もう日が完全に落ちていた。コンクリートと突風の冷気が窓越しに感じられる地上から、整備員のお辞儀に送られて出発する。日本だなぁと思う。


機体は大きく右に旋回して東京湾を回り、西に進路を取る。太平洋岸の海岸線が街の明かりでくっきりと浮かび上がる。小さな、ケーキの蝋燭のような東 京タワーに、明かりが灯る。中国の若者が沢山乗っていたので、さぞやうるさいかと思っていたが、予想に反して、静かなものだ。きっと、お育ちが大変良いの だろう。

学生時代、台湾で中国本土の軍事・経済のプレッシャーみたいなものの話題を散々聞かされたのは、もう 10年以上前になるけれど、お気楽日本の中に居てさえも、その緊張を感じるようになってきている。米国資本の会社に居ると、アメリカにとっての経済的なア ジアの主役が、中国に移ったことをはっきりと感じる。日本は、欧米の序列に並べられたときに、もう昔のような魅力を持つことができない。発展と成長が終 わってしまった国、その行き詰まった感覚というものを、日々イヤと言うほど感じさせられる。

じゃあ、そんな中国は、どう変わったのだろう。あるいは、変わらなかったのだろう。そういうことを見に、僕は飛行機に乗った。

ふと、北京は国貿(グオマオ)の薄暗い路地にあったチェーンの火鍋屋は未だあるだろうか、と考える。別に、そこに無理に行きたいわけではないのだけ れど、あそこのチャーハンは妙に美味しかったし、滞在中に 2回足を運んだのはあの店だけだった。あるいは、そんな思い出なんて、何事もなかったかのように、あんな路地は潰されてしまったかもしれないな。


そんなことを考えていると、雲の切れた眼下に、中国大陸が見えてくる。夜の漆黒に浮かぶ、沿岸部の小都市の小さな灯りは、やがて密度を増し、首都北 京へと連なる。巨大な紅の龍がのたうつように、街路灯の光の筋がうねり、北京市の中心部へと注いでいく。フラップが下りて、地表の建物が認識できるように なると、国貿周辺のひときわ高いビル群が目を引く。地表面から少し離れて、旧正月の終わりを惜しむ花火が、あちこちで上がっている。飛行機から見る花火 は、まん丸の火の玉で、どこか滑稽だ。

それにしても、広い。着陸した瞬間に、誰かの携帯の着信音が鳴り響く、そして当たり前のように会話を始める。ようこそ中国へ。駐機場の係員は、くわえタバコでカーゴを運んでいる。ようこそ、中国へ。

天安門

Photo: 天安門 Beijin, 2004. Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.

「メイヨーーーッ!(没有)」

が、ダメとかナイとか、そういう意味だと知ったのは、もっと後のことで、でも警官のかなり怒った形相からさっさとカメラを懐にしまって歩き始めた。 僕が彼をバックに撮ろうとした、天安門中央に掛かる毛沢東の肖像画。日本に帰ってきてから、最近新しいものに替えられたと知る。


北京についてホテルでひとしきりメールを処理した後、出かけた。SARS の当時は一つの車両に一人ぐらいしか人が乗っていなかったという北京の地下鉄に揺られて、天安門を見に行った。電車のシステムというのは、お国柄が出るよ うで、国によっていろいろ違い戸惑うことが多いけれど、北京の地下鉄はひときわ変わっている。自販機は無くて、窓口のみ。値段は全線 3元均一(多分)で、改札がない。ただ、階段があるだけ。階段の両側に、係の人が立っていて、映画のもぎりのように切符の半券をちぎる。

こんなんで、ラッシュの時はどうやって対応するんだ?という疑問がわく。答えは、立っている人の数が増えるのだ。ここにも、「とりあえず人を置いておけ」の法則がある。日々人手をどう削るか、ばっかり考えている我々のビジネスと、それは正反対の発想。質より量が勝っていく歴史。


天安門をくぐると、広い中庭に続いていた。その奥にはさらに門と広場が。人民解放軍の若者が中庭でバスケットをしている。観光シーズンではないせいか、天安門に来ているのは、中国の地方から出てきた人たちが多い。初めて北京の繁栄を目にした地方からの観光客も多いのだろう。皆、はしゃぎながら写真を撮ったり、何か話し合ったりしている。僕に中国語で話しかけてくる物売り。そりゃ、黙っていれば見分けはつくまい。行っても行っても清朝の王宮が続く。冷え込んできた上に、いい加減飽き飽きして引き返した。

この街は、かつての日本がそうであったように、オリンピックに向けて急激に変わろうとしている。僕が見た北京は、数年後にはまったく違う姿になっているに違いない。中国は変わらない、どこまでも中国だ、という言い方もあるだろう。でも、形が変われば、必ずその本質も影響を受ける。見ておくなら今なんだろうな、という気がする。

北京でカレー

Photo: 日本的中国カレー 2004. Beijing, Sony Cyber-shot U20, 5mm(33mm)/F2.8

Photo: "日本的中国カレー" 2004. Beijing, Sony Cyber-shot U20, 5mm(33mm)/F2.8

カレー部の人曰く、外国に行ったからこそ、ご当地のカレーを食べるべきだと言う。中国。この国にカレー屋なんて、、あった。普通に。しかも、「インド料理としてのカレー」ではなく、「日本的カレー」だ。


店構えは、日本のファミレスとカレーチェーンを足して二で割ったような感じ。簡単なテーブル席が用意されていて、今風にかつ安っぽく飾り立てられている。

カレーはトッピングによっていろいろ種類があるが(ソーセージカレーとか)、飲み物付きでどれも一皿 25元。300円ぐらいだから、あんまり安くない、ということは現地の感覚で言うとかなり高いということになる。でも、南フランスからの報告によれば、ご 当地では日本的カレーは一杯 3,000円ぐらいするらしいので、それよりは現地の感覚的に言って安いかなぁ。


メニューの写真を見ると(写真メニューがあるということ自体、なんだか日本のカレーチェーンみたいだ)えらく景気良く具が載っているので期待した が、出てきたものは割にしょぼかった。もっとも、日本のカレースタンドみたいな具のないカレーに比べれば豪華で、単に中国的具大盛りに目が慣れたせいかも しれない。

味は、いたって普通のカレーで、ちょっと甘口。ビーフカレーを頼んでみたが、牛肉は薄切りになっていて、角切りの馬鈴薯がゴロゴロ。妙に家庭的だ。で驚くべき事に、真っ赤な福神漬けが付いてきたよ。ここまで来ると、ほとんど日本食レストランだね。

この日本的カレーの普遍性、世界を制覇するかもしれない?!


、、で、その不味そうに食べてるモノは何ですか?何、カレー炒飯。中国だから、こっちの方が安全だと思った。いや、そんなことは無いでしょ、、。なに?冷めてる?それはきついな。