風邪気味で舌がおかしいのかもしれないが、自分の料理の腕、あんまり良くなくないか?
たいていうまいと思っていたが。。
写真と紀行文
風邪気味で舌がおかしいのかもしれないが、自分の料理の腕、あんまり良くなくないか?
たいていうまいと思っていたが。。
写真管理のソフト、幾つか試してみて、Adobe Lightroom 3 にした。王道と言えば、王道だ。
元々、Apple の Aperture が良いかなと思っていて、Mac を買ったら Aperture だと思っていたのだが、リモートの Windows ファイルサーバ上にある大量の銀塩のスキャンデータをそのまま管理する事はできなそうで、諦めた。インターフェイスもちょっと馴染めなかった。
使って見ると、Lightroomは、ローカル/リモート合わせて 2万枚オーバーのデータでもまったくへこたれず、もっさりもせず、安定している。元の写真データを壊す心配なくいじれる、非破壊型のエディットポリシーの安心感も手伝って、非常に満足して使っている。
フィルタの適用も驚くべき速さで(Core i7が速いのかもしれないが)最初は色々遊んでしまう。結局、よく見た気のするプリセットのフィルタで、よく見たような写真が簡単に出来上がる。グレインノイズも生成してくれるし、周辺光量落ちも簡単だ。だから、あっという間に銀塩味のあるっぽい写真だって作れる。
つまり、機材のノスタルジーや、こけおどしのフィルターは、まったく意味ないのだ。もしかしたら、センスやスタイルすら、意味ないかもしれない。元の写真の差だけが、決定的なのだ。
ちょっと飛躍するが、今ほど、自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分で撮る事が、大切な時代は無い気がする。結局、体感覚というか、そういう所の差異が、最後に来る。そんな気がしているのだ。
最近になって気がついたのは、僕は、ぼーっとしているのが、大好きだ。ってこと。
世の中には、予定表を埋めないと気の済まない人というのが結構居て、そういう人にとっては、ぼーっとする時間というのは、予定と予定の間にできてしまった、納得のいかない隙間のようなものに見えるようだ。
「あの人暇なんじゃない?」そう言われることを、恐れているようにさえ見える。忙しいのは結構だけど、誰もが、ほんとにそんなに忙しいのかな。
そもそも、ぼーっとするために、働いているんじゃないのかな?
何を考えている訳でもない。何をするわけでもない、そんな時間がすぎるのは速い。何もしないで夕方。そりゃ、いくら僕でもそんな風に日が暮れた時は少し罪悪感を感じたりはするけれど、それ以上に、ゆっくり送れた一日が良かったと思ったりするのだ。