9月にはじめたひつじlog。
その不明確な位置づけと、普段のしゃべりにちかい文章が、リアルなお知り合いで無い方には超不評という危険なコーナーとなりました。
宣伝とか殆どしてないのですが、(テキストリンクに少し登録している程度)、それでも6,000hitぐらいしているみたいで、有り難いことです。
続ける理由も無いのですが、やめる理由もないので、もう少し続けてみようかなと、思っております。
でも、自分でblogをこうして書いておきながらいうのも何ですが、blogってやっぱり読みにくい。仕組みとしては、CMSの一種であって、別に blogじゃないものとの、システム的な相違というのは、実はそんなに無い(場合もある)わけですが、読み手からすると読みにくい。
なんでだろう。やはり大きいのは、blogが読者参加型っていう、その利点が、皮肉にも、読みにくさの根本にあると思う。
我々は通常、Webサイトは編集されたもの、として読むことに慣れていて、システム上の仕掛けはともかくとして、スタティックなレイアウトと、モデレートされた内容を期待して読む。でも、blogは、勝手にコメントがついたり、書き手が意図しない位置で省略(more..とか書かれて)されたりする。その、期待(あるいは慣れ)とのギャップが、読みにくさの原因じゃないかと思う。
例えば、BBSみたいなものだと、それはそれで、そういうモードで読んでて、慣れてるから、許容できるわけで。
じゃあ、blogも慣れれば別に読みやすくなるのか?どうだろう。blogが読みやすくなるためには、もう少しシステム的に発達しないとだめな気がする。例えば、今のblogだとコメントなんかは、どこまで自分が読んだのか、よく分からなくなったりする。掲示判なら、割と単純に時系列でわかるけど、複数のトピックがあるblogだと、それこそどこがアップデートされたのか分からなくなったり。そうなると、コメントを読んだりする気もなくなって、ただの読みにくい日記サイトになるわけだ。
自分がどこまで読んだのか、何がアップデートされたのか、そのへんがちゃんとわかるようにケアしてくれる機能、例えばそういうものが、もっと発達する必要がある気がする。
、、。とか、考えながら適当に書いてアップできるという点でblogは書き手には楽。すごく。その分のツケを読者に回さずに、システムで吸収できるのか。インターフェイスは、今のwebブラウザを使うことが正しいのか、、いろんな課題があると思うな。
カテゴリー: 思いつき
炒飯
あらゆる食事で、執拗に、炒飯を食い続けて分かったのが、中国といえども美味い炒飯とそうでもない炒飯が存在する、という確固とした事実。
(食べ慣れているせいもあるが)なかには、日本のラーメン屋の方が勝ってるようなとこもあった。
これは、わりとダメな方の炒飯。インディカ種を使っていて、パラパラしているどころか、ボロボロしている。油もちゃんと入って無くて、いまいち。ここは、まあ、なんかファミレスみたいな(感じの)店だったが、味もそんな感じだった。これはかなり残った。
全体で言うと、出てくる炒飯はどちらかと言うと、ジャポニカ種のものが多めで、割としっとりしたものの方が美味しかった。これは、我々日本人の舌どうこうというよりも、美味い店はそういう風に仕上げているように思われた。
あと、具の豪華さは、味にはあんまり関係ないみたい。卵と葱の「素炒飯」がいちばんうまい。
中華
北京に居ます。
なんだろう、この国初めて来たんですが、すげー所だ。
いろんなモノがまだまだ無いんだけど、人はいっぱいいて、土地もいっぱいあって、凄い勢いでつくってる。
街の大気は汚染されて、日が昇ると黄昏のように霞み、まるでブレードランナーみたい。昼も夜も、ビルからは溶接の光がこぼれる。
ホテルからオフィスに行くだけで大変。信号があるにはあるんだけど、多分、青が「危険」で、赤が「もっと危険」なんだと思う。正解は、信号を見ないで、流れを読むことみたい。でも割と慣れてきた。
地元の英語なんてまったく通じない店で、机一杯食べて800円ぐらい。でも、ホテルのエビアンは500円。ホテルの部屋には美術品みたいなのが、ドカドカ置いてあって、風呂場にまで絵が掛かってる。シャワー室のシーリングは甘くて水が漏るけど、一日中ハウスキーピングが巡回していて、直ぐに拭いてしまう。地下鉄に券売機は無くて、改札も無くて、全部人が立ってる。人が一番安いんだ。
VPNが通るホテルから、直ぐ下はミカンみたいなのを売ってるリアカー、上は高速度路で車が通ってるけど下の方は何か造ってる最中で、自転車部隊とひっきりなしの歩行者と、あてにならない信号に警官に軍隊にへんな制服がいっぱいいて、、。で、社会主義の中華であるところの文化文明の中心と言っていると。
これはさぁ、素直に凄いと思った。