本を置いておくところが無くなって、図書館に行ってみる

本を置いておくところが、もう無い。

もともと、本が多かったのを反省して、引っ越しを機に、本棚は小さいものを買った。そして、あっという間にいっぱいになってしまった。本というのは捨てづらいし、売るのもなんか嫌だ。Kindel は持っているけれど、英語書籍を読む修行用端末だから、日本語コンテンツは入れない。

図書館に行ってみたらいいんじゃないか、ある日、唐突に思い立った。

意外と近所にあった図書館は、ビックリするほど近代化していた。図書カードはバーコード付きカードになり Suica に統合可能、RFID を使ったセルフ貸出システム。

実際に通い始めてみると、僕の中の図書館のイメージはいろいろと変わってしまった。貸出の量が書籍だけで 20冊ぐらいと多い上に、延長含めて 1ヶ月貸してくれる。区によっては在住・勤務でもなくても利用でき、ネットで検索・予約・延長手続き可能。取り寄せた書籍が来ると、メールでお知らせ。もちろん、利用料は無い。こんなに太っ腹なのか。


そして、一番いいのは、本が手元に残らない。これに尽きる。昔は収集するのが好きだったけれど、今は、なるべくモノを持ちたくないと思っている。

失敗を恐れず、もし「買う」のだったらためらう本を、手に取ることができる。内容がかぶるのを恐れずに、同じようなジャンルの本を何冊も借りてみたり、聞いたことのない作家のエッセイが面白かったので小説の方を借りてみたり。

図書館は、例えば、今話題の本を借りる、というのには向いてない。「桐谷さんの株主優待生活」は当面、僕の番は回ってこない。しかし、より長いスパンで驚くほど優れた、思いもよらない本に出会うには、とても良い場所だった。ビー・ウィルソンの「キッチンの歴史」はそんな意外な本の一つだった。箸やカラトリーの出現が、人間の骨格やかみ合わせを変えた、なんて思いもよらない考察だ。

当たり前のことだが、本は Web に比べて、検索性を始めとして情報へのリーチの容易さに圧倒的に劣るし、速報性も無い。しかし、知識の鎖の長さや内容の普遍性、という部分では Web を圧倒する。

そして、なんというかよくよく観察してみると、下世話な話だが、頭の良い人達とか、お金持ちな人たちって、図書館を使っているんだということに気がついた。


そういえば、どの図書館にも掲げてある、このミッション・ステートメントは、知識に対する人類の思いを宣言している。静寂のつつむ図書館で、この宣言を見た時に、僕が図書館に何の関心も持たずに過ごしてきた10年以上も、やはりこのミッションが守られてきたのだと思うと、よくやっててくれたなぁ、という気になる。どんな街場の図書館も、この実践なのだ。

図書館の自由に関する宣言(抄)

図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することを、もっとも重要な任務とする。この任務を果たすため、図書館は次のことを確認し実践する。
第1 図書館は資料収集の自由を有する。
第2 図書館は資料提供の自由を有する。
第3 図書館は利用者の秘密を守る。
第4 図書館はすべての検閲に反対する。
図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。

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