「教育問題を解決するには、世界からテレビをなくしてしまうことだろう。」

http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20060809/245495/?ST=newtech&P=2

アランケイのインタビューを読んでいて、
「教育問題を解決するには、世界からテレビをなくしてしまうことだろう。」
というコメントに、極論ではあるけれど、共感した。もともと、最も安価なるベビーシッター(それは時に介護役にもなる)としてのテレビは、ずいぶんと議論されてきた問題だ。

僕は小さい頃、テレビをほとんど見ないで育ったので(家にテレビはあったが、壊れていた。僕の親は、それを直そうとは決してしなかった)、その頃は、テレビが見られる友達がうらやましかったが、今はそれは良いことだったと思っている。テレビが無くても子供は育つのだ。

もちろん、それは子供だけの問題ではなくて、大人の問題でもある。

テレビを見ていると、なんというか、時間を盗まれているような気がする。それは、テレビのプログラムに問題があるというよりも、見方の方に、より問題があると思うのだ。つまり、そこから何かを得ようというのではなくて、あるいは、何かを成し遂げたり、少しでも良くなろうとか、受け取ろうとかそういうのではなくて、ただ、時間をすり減らして「不愉快ではない状態で、かつ努力もすることなく」時間を消費していきたい。過ぎ去らせたい。そんな風に見るテレビは、文明に対する脅威、と言っても良いのかもしれない。それは大げさとしても(大げさではないと思うのだが)少なくとも、よりよい人生に対する脅威、にはなると思う。


そう言えば、この前、馴染みの居酒屋でカウンターの隣に座ったオヤジ二人が、携帯のワンセグを見ながら、ああだこうだと盛り上がっていた。確か、テレビの関係者だったはずで、まあ職業柄なのかもしれないが、それはとても不愉快な行為で、ワンセグ携帯って、なんてロクでもない機械なんだろうと思ったのだった。

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