金魚?それから

Photo: 金魚 2005. Contax i4R, Carl Zeiss Tessar T* F2.8/6.5.

Photo: "金魚" 2005. Contax i4R, Carl Zeiss Tessar T* F2.8/6.5.

死んだ、という知らせを聞いて 2ヶ月。ようやく、僕たちは彼の生まれ故郷にやってきた。もっとも、ここまで墓参りに来るとは、正直思っていなかった。街は東京から遙か遠く、実際にどこに墓があるものかも、僕は知らなかったのだ。

しかし、筋書きがあったかのように、彼が葬られた場所を知る人に連絡がついた。そしてその日、誰が予定を合わせたわけでもないのに、彼縁(ゆかり)の人間が 4人集まった。

豊かな漁場に面した湾の周りを囲む山の一つに、墓地はあった。コスモスの花が咲く小学校を過ぎると、急な斜面に沿って沢山の墓標が街を見下ろしてい る。山の中腹にある彼の墓へ続く道は狭く急で、休み休み登っていく。途中、大きなカマドウマが、日に温められたアスファルトの上をノロノロと歩いていっ た。


意外にも墓は新しく、大きかった。彼の名前は、未だ彫られていない。誰が供えたのか、小さなトマトが 3つひからびていた。一束の線香を点し、ペットボトルからミネラルウォーターを墓石に注ぐ。手を合わせたら、酒の準備だ。

ちゃんと、栗焼酎と、唐辛子と、大葉と、氷をもってきた。麓のコンビニで買ったプラスチックのコップで、金魚をつくる。見た目はちょっと安っぽいが、材料は申し分のないホンモノの金魚。「金魚って何ですか?」と聞く同行者に、説明をする。彼がこれをよく飲んでいた記憶はあるのだが、本当に好きだったのか、今となっては自信がなくなってくる。自分が死んだら、いったい何が供えられるのだろうか?いくら好物でも、漬け物とかシウマイとかを供えられるのは、間抜けな話か。


暫くお供えして、皆でそれを飲む。日の光の下で飲む金魚は、ひときはきつく、胃に落ちていった。煙草も供えられた。彼は煙草を吸っていただろうか? 直ぐに思い出せない。彼が生きていた頃の話をしつつ、初秋を迎えた盆地を眺める。ここで生まれて育ち、そして今帰ってきたのだ。どんな子供時代を過ごした のか。遠く離れた猥雑な街で、独り最期に何を思ったのか。終わってしまえば、人生はなんて小さいものなんだろう、そんな悲しい考えが過ぎる。

ここからは、大きな糸杉と、緑に覆われた山々が見える。海は、うまく見えないが、海流の運んでくる風を感じる。ひとしきり眺め、振り返ると皆の話は、世俗の諸々の事に遷っていた。

「じゃあ、行きましょうか」と誰かが言って、僕たちはその場所を後にした。帰り道では、さっきのカマドウマが相変わらず、ノロノロと歩いていた。

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