茶碗夫婦

Photo: 2000. Kobe, Japan, Nikon F100, AF Nikkor 35-105mm F3.5-4.5D, Fuji-Film

Photo: 2000. Kobe, Japan, Nikon F100, AF Nikkor 35-105mm F3.5-4.5D, Fuji-Film

「どっちが、どっちの造った茶碗だと思う?」
「うーん、右がだんなで、左が嫁」
「ハズレ」

友達夫婦がどこだかの観光地でつくってきた茶碗。どっちがどっちの手になる作品か訊かれて、僕は何の躊躇もなく間違って答えた。正解は、向かって左 側で可憐な風情を漂わせているのがだんなの作品。右側で、ある種の風格と包容感を感じさせているのが嫁の作品である。間違えるだろ、普通。


彼らが結婚したのは去年の5月、今は神戸の郊外に住んでいる。だんなとは、会社に入って以来の友人である。彼が、去年の頭に「ワタクシ、年貢の方、納めさせていただくことに決めました」と言い始めたときには驚いた。相手の人について、僕は殆ど何も知らない。

別に口先だけで、「めでたい」とか言うのは簡単な話だ。そうした方が、世の中はスムーズにいく。でも、実際のところ、僕にはよく分からなかった。つ まり、彼の結婚を、祝福するべきなのか、分からなかったのだ。僕は自分の生い立ちの中で、「結婚=破滅」の方程式を刷り込まれているだけに、心境は複雑。 しかも、彼との距離感を考えると、「まあ、しょせんは他人事だしなぁ」とも割り切れないものを感じるのだ。

そして、答えがよく分からないままに、僕はもう一人の友達と、伊丹行きの飛行機に乗り込んだ。いざ、神戸へ。


新居の室内を禁煙にすることは、彼自身が決めた。そういうわけで、寒風吹きすさぶベランダで、タバコふかしているだんなとポツポツ話す。

「俺はここに来てやっと分かった。おまえはいい人を選んだ。本当にそう思う。良かった、良かった。」

神戸での2日目の夜。僕が彼に言ったのは、大まかに言えばそんなことだった。彼らの家に寝泊まりして(客間があるのだ、東京では考えられないが)、 夫婦と三宮を遊び歩いて、僕は本当に楽しかった。そして、彼らの自然な寄り添い方を見ていて、彼らがとても良い夫婦だということに、気が付いた。家の中に は、彼らなりの、良い時間が流れていた。それは僕に、少しのあこがれさえ感じさせた。


結局、神戸での3日間は、僕の心に暖かいものを残した。ささくれる心に、二人がくれたものは何だったのか、よく分からないけれど、僕はなんとなくホッとした気分で東京に帰ってきた。

結婚おめでとう。ぼくは、ようやく心からそう言うことができる。

追伸:ちなみに茶碗の写真を見た、お茶の先生である僕の母親曰く「奥さんの方は、ずいぶんしっかりした感じよ。(お茶的に言うと)凄くちゃんとした器ね。で、だんなさんの方は、見かけよりもたよりないみたい」だそうです。(余計なお世話)

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