ジョージ・ウォレス

歴史に名を残すのは、英雄か極悪人だ。でも、歴史は英雄と極悪人のためだけのものではない。

ジョージ・ウォレスという名前をきいて、ピンと来る人はあまりいないのではないかと思う。キング牧師や、ケネディ兄弟と同じ時代を生きた政治家だ。

アラバマ州知事として、公民権運動に断固として反対した人物。ベトナム戦争に賛成し、ニクソンと大統領候補の席を争った人物。ケネディを題材に映画を作れば、きっと「悪役その1」ぐらいの役回りになるのだろう。

そんな彼の生涯を扱ったドラマが、最近作成された。僕は、それを見て彼の名前を初めて知った。

このドラマ、別に面白いわけではないし、それほど感動的でもない。筋が進めば進むほど、ウォレスという人物がごく普通の政治家であり、ごく普通のア メリカの白人であったことが分かるばかりだ。彼は彼なりに努力をし、苦難に立ち向かい、大統領にはなれなかったが、平均以上の成功を手にいれた。まあ、別 に面白くはないよね。こんなドラマ見る価値あるのかな?

しかし、僕にとってはこの「つまらなさ加減」がとても印象的だった。何も革新的ではない、何も特別ではない。それは僕たちも同じことだ。自分も含 め、身の回りの誰かが歴史に残るなんてことがあるだろうか?そんなことは、きっとないと思う。僕たちの生涯をドラマになんてしてしまったら、このアラバマ 州知事の生涯に比べてさえ、題材がないだろう。

僕は自分が歴史に残りたいなんて思ったことはない。

ドラマになるような、何かを巻き起こしたいとも思わない。物事を、誰かが勝手に引っかき回して、それを周りのたくさんの人が迷惑しながらどうにか形 にして、それが歴史になるような気がする。例えば公民権運動にしても、キング牧師ははやくに殺されてしまった。本当に歴史を作ったのは、その他の人たちだ と思う。その中には、間違いなく反対者であるウォレスも入るはずだ。僕はむしろ、そういうウォレスのような人に共感を感じる。

自分の人生はどちらに近いのか、と考えれば、間違いなくウォレスの方が僕に近いのだ。その、「つまらなさ加減」。責任を果たし、常識で考え、社会を 支えることは、「つまらない」ものだ。しかし、それは誰かがやらねばならず、大切なこと。嫌な役回りも、役回りの一つには違いないのである。

キング牧師も、ケネディ兄弟も死んだ。殺された。そして、人びとの記憶に残った。
ウォレスはほぼ寝たきりになりながらも、今、アラバマで生きている。人びとは、彼を忘れたけれど、、。

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