答え合わせ

Crane machine
Photo: “Crane machine” 2011. Las Vegas, NV, US, Ricoh GR DIGITAL III, GR LENS F1.9/28.

ふと、なんか、答え合わせを求められる年齢なんだな、と思った。

選択肢は一杯あって、あるいは一杯あるように見えるだけなのかもしれないが、なんとなく選んでいくと、方向性を詰められていって、なるような感じになってく。と思ったら、突然それが崩れたりもする。

最近思うのは、「オトナ」っていうのは居ないんだな、という事。子供の頃は、オトナというのが居るものだと思って居たけれど、結局本質的には何も変わらない歳を取ったイキモノが居るだけ。

オトナは言うほど主体的に自分の運命を選んでいないし、かといって、意外と理性の外で何かを決めて、運命をたぐり寄せたりもしている。どっちにしろ、コドモもオトナも、たいして違いは無い。もっと早く、そういう事は教えて欲しかった。


テキサスの片隅のショッピングモールに置かれたクレーンゲームでは、見慣れない珍妙なキャラクター達が、新たなオーナーとの出会いを待っている。こうして選ばれるのを待つのも、一つのカタチ。

僕の腕前では、誰一人連れ帰ることはできないから、試したりはしないけど。

生き残れない人々

うちの近所に、橋の撮影スポットが有る。毎日毎日、プロもアマも、コンデジから本気一眼デジまで、いろんな機材を持った、いろんな人々が、ただ一種類のフレームを目指してやってくる。

写真を撮る、そして何かそれを作品にする、という意味においては、まったく無意味だ。少なくとも、何か創作を志そうというものが、雁首を揃えて一斉に川面にレンズを向けるなんて、何の意味があるのか。


実は、この橋には、その下を潜る通路がある。そこから眺める景色は面白い。橋の両岸には長いリバーウォークがあって、そこから橋自体を見ることも出来る。いくらでも、自分の視点を入れられる。

なのに何故、同じ立ち位置で、同じような写真を撮りたいのだ。趣味?だったら、何も失うものは無いのだから、自分の視点を大事にしたらいい。プロ?だったら、凡庸の素材集みたいなフレームを撮るな。そう、どっちにしたって、そんな所でカメラを構えるなよ。

でも、そんな光景を見れば見るほど、成功できる人が一握りな理由が分かる。誰も、そこから抜け出るちょっとした勇気も、心の自由さもないのだ。それをもった少しの人が、やっとどうにか、スタートラインに着ける。そういう事なんだろう。

山羊ページと山羊の味。

Photo: “A goat soup.”
Photo: “A goat soup.” 2016. Naha, Okinawa, Japan, Apple iPhone 6S.

羊ページを、山羊ページと間違えて覚える人も世の中には居るようで、そんな風に覚えてしまうといかに優秀な検索エンジンをもってしても、ここに再びたどり着くことはできないらしい。

じゃあ、山羊ってどんな味なんだというと、それは沖縄で食べてみるのが一番だ。


昼飯時。仕事場の近所の、いかにもローカルな食堂で、「山羊汁」の札を見つけて、そこはやはり頼むしか無かった。ヨモギ入れますか?と聞かれて、意味は分からなかったが頷いた。そして、ヤツが来た。

見た感じ、ちょっとコーンビーフと言っても良いような、繊維感のある肉質。ヨモギは結構盛大に入っている。それでは一口。。

少しカントリーサイドに、というか、風向きによって牛糞だの鶏糞だのの臭いがする暮らしに慣れた人にとって、山羊の味を想像するのはとっても簡単だ。飼料が入ってるサイロ、あのあたりの臭気を口いっぱいに詰め込む感じ、以上。

動物を頂いている感満載。控えめに言って、吐きそうなギリギリ感。それをなんとか救ってくれるのが、ヨモギの清涼感。これの助け無しに、この料理を完食するのは多分無理。難易度が高いと言われる名物は色々あるが、なんとか完食できなくは無い絶妙なハードルの高さという意味では、良いんじゃないかな、山羊汁。

Photo: “Goat sashimi.”
Photo: “Goat sashimi.” 2016. Naha, Okinawa, Japan, Apple iPhone 6S.

ちなみに、山羊肉は加熱すればする程、臭いが出るそうで、実は刺身で食べるのが、一番クセが無くて美味しいんだそうだ。那覇の夜。茹だるような気温の店内で、緩く扇風機がかかる中、常温で置きざらした山羊肉を生で頂く。

幾分のスリルと、ニンニクが効いて大層美味しかった。