プロジェクトXの再放送を見ていたら、ワープロの回だった。熱いなー、と思った。もし、英文タイプの日本語版に相当するものがあれば、社会的に意味がある、国民全員が使える。そういう高い志が開発の根底にあった。当時、日本語を活字にするためには、専門技能を必要とする写植しか無かったのだ。それが、日本語ワープロの登場によって、だれもが、日本語を活字にすることができるようになったのだ。
番組によれば日本語ワープロの誕生には、いくつものブレイクスルーが必要となった。画期的だったのは、従来の一覧表から個々の漢字を拾う方法から、読みを利用したカナ漢字変換という手法への発想の転換。この発想の転換で、英文タイプとほぼ同じキーだけで、日本語を入力が可能となった。また、日本語に多数存在する同音異義語の扱いにも、新しい考え方が必要だった。英文タイプには無い、「学習」という機能がこの問題を解決する。機械が人間に合わせるという発想の転換が、日本語の変換を可能にした。
他にも、入力途中で変換候補を絞り込むことで、変換速度を向上させた。例えば、360万通りの変換パターンを持つ「かんきょうおせん」という単語。単語の入力途中で先読みをさせることで、変換速度は劇的に高速化する。もちろん、現代のATOKで変換してみれば、一瞬で「環境汚染」に変換されるわけだ。
さて、最近面白いと思って読んでいる雑誌Re:Sの創刊号の特集で、「いまだからワープロ」という特集が組まれていた。僕も昔は、書院を一時期使っていた。キーボードがへたってしまったのと、正直処理速度(スクロールとタイピングへの追従)が追いつかなくなってしまい、Macに乗り換えた。だから、当時の専用機を今使いたいとは思えない。
でも、手帳の代用としてのワープロ、和文タイプライターとしてワープロというコンセプトは、今結売れそうな気がする。スタンドアローンであることのセキュアさ、あるいは、変わらずに使い続けられるという保証。そういうコンセプトは、今、価値があるように思える。
個人的には、文章を書くときには、辞書が欲しくなるし(広辞苑や英辞郎やらをインストールして使っている)、wikipediaを引きたくなったりもする。だから、今さらワープロだけに戻れと言うのは無理だ。それにワープロは実は欲しくなくて、文章をひたすら入力するだけの、エディタが欲しいのだ。(僕にとって書式が必要になる局面は、HTMLか、あるいはPowerPointだけだ)でも、文房具としての、手帳の代わりのワープロは欲しいように思う。
ネット接続機能(ブラウザ、メール)はいらない、マルチタスクじゃなくていい、タッチパネルもいらない。PIMの機能もいらない。モノクロで良い。そのかわり、乾電池で長く動いて、SDのスロットだけあって、カスタマイズが可能なエディタだけが乗っている。ただ、メモを階層的に管理したり、相互参照したり、強力に検索したりはしたい。キーボードはASCII配列で打ちやすく、ファンクションキーなんかは省略して良くて、トラックポイントは、まあ、あってもいい。でも、できればフルテキストで渋く偽ウインドウシステムなんかを実装してくれると嬉しいかもしれない。
FEP(?)は、ATOKが入っていてくれると最高だな、、。文章を出先で書くためだけの機械。
売れないだろうかな、、。10万円までだったら、即買いするけどな。