天安門

Photo: 天安門 Beijin, 2004. Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.

「メイヨーーーッ!(没有)」

が、ダメとかナイとか、そういう意味だと知ったのは、もっと後のことで、でも警官のかなり怒った形相からさっさとカメラを懐にしまって歩き始めた。 僕が彼をバックに撮ろうとした、天安門中央に掛かる毛沢東の肖像画。日本に帰ってきてから、最近新しいものに替えられたと知る。


北京についてホテルでひとしきりメールを処理した後、出かけた。SARS の当時は一つの車両に一人ぐらいしか人が乗っていなかったという北京の地下鉄に揺られて、天安門を見に行った。電車のシステムというのは、お国柄が出るよ うで、国によっていろいろ違い戸惑うことが多いけれど、北京の地下鉄はひときわ変わっている。自販機は無くて、窓口のみ。値段は全線 3元均一(多分)で、改札がない。ただ、階段があるだけ。階段の両側に、係の人が立っていて、映画のもぎりのように切符の半券をちぎる。

こんなんで、ラッシュの時はどうやって対応するんだ?という疑問がわく。答えは、立っている人の数が増えるのだ。ここにも、「とりあえず人を置いておけ」の法則がある。日々人手をどう削るか、ばっかり考えている我々のビジネスと、それは正反対の発想。質より量が勝っていく歴史。


天安門をくぐると、広い中庭に続いていた。その奥にはさらに門と広場が。人民解放軍の若者が中庭でバスケットをしている。観光シーズンではないせいか、天安門に来ているのは、中国の地方から出てきた人たちが多い。初めて北京の繁栄を目にした地方からの観光客も多いのだろう。皆、はしゃぎながら写真を撮ったり、何か話し合ったりしている。僕に中国語で話しかけてくる物売り。そりゃ、黙っていれば見分けはつくまい。行っても行っても清朝の王宮が続く。冷え込んできた上に、いい加減飽き飽きして引き返した。

この街は、かつての日本がそうであったように、オリンピックに向けて急激に変わろうとしている。僕が見た北京は、数年後にはまったく違う姿になっているに違いない。中国は変わらない、どこまでも中国だ、という言い方もあるだろう。でも、形が変われば、必ずその本質も影響を受ける。見ておくなら今なんだろうな、という気がする。

さくらとサボリーマン

Photo: サボリーマン 2005. Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.

Photo: "サボリーマン" 2005. Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.

桜が咲いて、みんなボートに乗ってるよ。

サボリーマン 2名も大喜びでボートに乗っている。

ポカポカしている

松屋の牛丼

Photo: 牛めし 2005. Tokyo, Sony Cyber-shot U40, 5mm(33mm)/F2.8

Photo: "牛めし" 2005. Tokyo, Sony Cyber-shot U40, 5mm(33mm)/F2.8

管理者は、美味そうっぽいものを中心に羊ページに載せているので、そういうものばっかり食べているのではあるまいか、と思う人が、もしかしたら世の中には 1人ぐらいはいるかもしれない。

が、まあ、そうもいかないのが、世の常。11時過ぎ、まともな店なんてやってないぞ。腹は減った、そして早く寝ないと睡眠時間が。


気がつけば、松屋の殺伐とした U の字カウンターに向かっている。殺伐とした深夜に、復活の牛丼を注文してみる。(あー、正確には牛めしな)直ぐ出てきたよ。なんか、カンナで削ったのかと 思うような肉だな。それに、いつの間にか筍みたいなのが入ってる。妙にあっさりとした牛丼。そういえば、松屋では牛丼なんて食べたこと、ほとんど無かった。(学生時代も松屋では牛定しか食べなかった。そういうものじゃないか?)

こういう食事って、ある意味体力がないと食べられないと思う。まずくはない、まずくはないけど、何も体に入ってこないというか、すり減る食べ物。「食事」という記号を食べてるような、そんな感じ。

でも、この間、生まれて初めて松屋で牛定以外の定食「デミ玉ハンバーグ」を食べたら、(しつこいけど)存外美味しくて、新登場の黒酢ドレッシングも好きな味だったりして、割と上機嫌で食事をしてしまったり。人間って勝手だ。

注:みそ汁も最近意外にいい