Photo: 2004. Beijing, Mainland China, Sony Cyber-shot U20, 5mm(33mm)/F2.8
朝、タクシーで旧市街の方に向かう。一人後部座席から、薄曇りの天安門広場を眺めている。車道は広く、よく舗装されていて、片側 4車線以上ある。半世紀前、祖父は占領者としてこの土地を踏んだ。彼は軍人だった。そして、50年以上が流れ、僕はビジネスという立場でここに居る。歴史の流れは、こんなにも早いものか。
タクシーを降りて商店街の方に。昨夜は見えなかった細い路地を曲がる。高級レストランや土産物屋が並び、外国人の姿も見える表通りから、だんだん地元の人しか居ない、もう一つの中国が見えてきた。揚げパンを売る屋台、簡易宿泊所の待合いから外を眺めるオバチャン。僕は、上着のポケットに両手を突っ込んで、ゆっくり歩く。
中国には 56もの民族が居て、僕みたいなアジア系がうろうろしていても、そんなに目立たない。人々は、僕を気にするでも無く、気にしないでもなく、通り過ぎ、追い越していく。見たことがあるような、無いような。昭和の昔の日本の風景のようなその路地に、ふと胸に迫る懐かしさを感じた。あるいは、それはメディアで見ていた「中国」という光景に対する、極めて今日的な既視感だったのかもしれない。
土曜の朝の古びた路地には、朝食を買い求める人が多い。ピザ生地のようなパンや、ひねった揚げパンなどが売られていて、5元も出すと山のように買える。小さな定食屋も店をあけていて、だいたい 1食 3元(36円)、口開けの客が入っていく。1元ショップとでも言うのか、1元均一の雑貨屋を覗くと、埃っぽい棚に、ゴミとしか思えないような汚い人形や、 ピーラーのような安っぽい調理器具、怪しい口紅などが雑然と並べられていた。受けねらいの土産にもはばかられる、そんな品物。何も買わずに店を出て、雑踏に戻る。
目的地は無く、地図も持っていない。自分がどこにいてどこまで行くのか、それは分からなくて、もうこのぐらいにしようかと、途中で振り向いた。歩いてきた道には、普通の週末の朝の景色。ここは、欲望のカタマリのような、今まで見てきた中国からは少し離れた場所だった。
注:JAL のグランドホステスにニーハオと言われるような人間なのであまり目立たない。