それでも、測量的に「四万十川の源流」と言える場所はある。四万十川を形成する幾つもの水源。その中でも、最も標高の高い山にあるものが、人間の定めた四万十川の源流である。
その源流を目指して、ひたすら流れを遡る。川の体裁を為していた四万十は、いつしか、一筋の流れになった。遡上開始から2日目、河口から130Km。川はついに、ひとまたぎで越えることができるまでに細くなった。
写真と紀行文
それでも、測量的に「四万十川の源流」と言える場所はある。四万十川を形成する幾つもの水源。その中でも、最も標高の高い山にあるものが、人間の定めた四万十川の源流である。
その源流を目指して、ひたすら流れを遡る。川の体裁を為していた四万十は、いつしか、一筋の流れになった。遡上開始から2日目、河口から130Km。川はついに、ひとまたぎで越えることができるまでに細くなった。
「源流っていっても、どれってわけじゃ、ないきねぇー」
地元の人びとは、口々にそう言った。四万十川を遡上して1日と半。最初は堤防によって囲まれていた川の両岸は、やがて田畑になり、藪になった。川のカタチはどんどんぼやけ、幾つもの流れに分かれ、そして僕たちは四万十川を見失った。
木も水も、人が名前をつけて初めて、「何か」になる。森も川も、人間が名付けてはじめて名前を持つ。この水の流れを、誰かが四万十川と名付けた。そして今日、四万十川は理屈としては確固として存在し、地図に載っている。
しかし、逆に言えば、地図に載っているから川だと思うわけで、実際には目の前に水が集まって流れる場所があるにすぎない。その流れがどんどん細くなっていった時、いままで揺るぎない存在に思えていた四万十川は、急にあやふやな存在に思えてくる。
本当の源流?そんなものはないのだ。
トンネルが造られた時代が古いだけに、口径が小さい。ロンドンの地下鉄が、「チューブ」と呼ばれる所以か。地下鉄の屋根やドアも、トンネルに合わせて丸っこくカーブしている。
その狭苦しさと、強引なドアの開閉のおかげで、日本の感覚で駆け込み乗車すると、確実にドアに挟まる。僕も1回挟まった。挟まりながら乗り込んで、周囲を見回すと、乗客が恐怖に強張った顔をして僕を見ていた。どうも、ロンドンの地下鉄で駆け込み乗車をすることは、もの凄く危ないことらしい。