鉄橋が幾重にも架かる川。重なり合った鋼材の遙か彼方に、弱々しい太陽の光が沈む。車窓から眺める景色は冷たい藍に染まり、やがて色を失った。
大阪の風景に、僕はどこか昔の日本を見る。窓から見えた、鉄骨の林。その冷たい生々しさに、揺さぶられる。
写真と紀行文
鉄橋が幾重にも架かる川。重なり合った鋼材の遙か彼方に、弱々しい太陽の光が沈む。車窓から眺める景色は冷たい藍に染まり、やがて色を失った。
大阪の風景に、僕はどこか昔の日本を見る。窓から見えた、鉄骨の林。その冷たい生々しさに、揺さぶられる。
それでも、止まってしまうことがある。
頭を抱えて、恥ずかしさと、後悔と、怒りと。それでも、耐えなくてはいけない。
F1を見ていて思うのは、これって金かかってるなぁ。この一言に尽きる。
テレビで見るのではなく、実際にサーキットに行ってみると、F1というのは本当に大きなイベントなのだと感じる。それは、何万人もの観客を集めて行 う、秋の大運動会みたいなものだ。そして、決勝の日というのは、言ってみれば最後の競技種目、クラス対抗リレーみたいなものだ。
上空を見上げると、取材なのか観戦なのか、ヘリコプターがひっきりなしに飛んでいる。
早い話が、なんにも無いところから車をつくって、世界中を周りながら走らせるわけだ。きっと夢のように楽しくて(好きならね)、悪夢のようなプレッシャーのある仕事なのだろう。そして金もかかる。
そんな風にしてつくった車も、当たり前だが、止まる。
止まってしまった F1マシンはなにもできない。ロードクリアランスは極限まで低いから、グラベルで止まってしまったらなかなか抜けられない。レーシングカーには詳しくないのだが、多分、バックなんてろくにできないんじゃないかと思う。(そんなギアないのかも)
見せ場の最終コーナーで、マシンが止まった。マーシャルが押していく。止まったマシンに注意を払う観客はいない。それは、ただの障害物。