これは「エーゲ海」ではない

2001. Yakushima, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss Sonnar T* 2.8/35, Fuji-Film RHP III

2001. Yakushima, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss Sonnar T* 2.8/35, Fuji-Film RHP III

エーゲ海。

いや、これは「エーゲ海」ではない。「エーゲ海」に行くはずだった僕の夏休みは、ギリシャ大人気、飛行機に空席なしという事態により、「トルコの旅」に変わった。まあ、トルコも悪くないよね、と思っていた直後の米国同時多発テロ。その影響でトルコ行きの飛行機は飛ばず、結局、どこにも行けなくなった。

どうしよう?どこにいこう?


屋久島は、鹿児島空港からプロペラ機で40分。黒潮のど真ん中に立ちふさがるように位置する、南の島である。東京からわずか3時間、なんの実感もないままに、僕は屋久島の上に立っていた。屋久島に行くと決めたのは、つい一昨日のこと。理由なんてない、遠くに行きたかっただけ。Webでチケットを買って、カメラと着替えだけを背負って、ここに来た。


パシャパシャと護岸を濡らす波に照り付けているのは、南国の太陽。突堤を歩く僕の背中を、ジリジリとやいている。水は、南色。

とりあえず、帰ってきた

Photo: 2001. Japan, Nikon F100, 35-105mm F3.5-4.5D(IF), Fuji-film.

Photo: 2001. Japan, Nikon F100, 35-105mm F3.5-4.5D(IF), Fuji-film.

とりあえず、帰ってきた。

フィルムは、11本使った。まだ、現像には出していない。都会では、緑色の光を捕まえるのに、少し忍耐がいる。島では、ファインダーを覗けば、いつでも緑色の光が満ちていた。

北緯30度、黒潮の通り道に位置する屋久島は、島の中心部に聳える 1,000m以上の山々に雲を頂き、無数の川が流れ落ちる水の島だ。足許の苔から、頭上の樹冠に至るまで、多様な動植物を、豊富な水が支えている。

その屋久島で、僕はいろんなことを考えた。のではなくて、何も考えなかった。少なくとも、考えるべきことは、いつもより格段に少ないように思えた。この島の数日間で、頭の中の温度が下がったような、そんな気がする。


島の海岸線には、ハイビスカス(らしきもの)が咲いていた。海は、魚の背中のようにピカピカと光っていた。太陽が、突堤でテトラポッドを観察する我々の背中を焼いた。穏やかに、夏が暮れていた。

山には、秋が来ていた。山腹を走るトロッコの線路には、少しだけ色づいた落ち葉が舞っていた。鹿が、冬支度をするかのように、いそいそと草を食む。 最初、鹿を珍しがった我々も、直ぐに彼らの居る風景に慣れた。標高1,500m を超える屋久島奥岳を眺めると、寒々とした霧につつまれていた。

僕は、島で数日を過ごし、山に登り、突堤を歩き、生まれて初めて流れ星を見た。へとへとになって登った山の中腹で、久しぶりに水が美味しかった。


週末。足であるカローラのバンから降りると、空港のカウンターで帰りのチケットを受け取った。昨日、JAS の Web サイトで買っておいたのだ。屋久島と Web、滑稽かもしれないが、島の情報に関して言えば、一番あてになってのは Web だった。


ウンザリするようなボロいYS1(当然プロペラ)に乗せられて鹿児島へ。直ぐに乗り換えて、羽田へ。屋久島から羽田へは、正味3時間程しかかからない。近いのだ。まだ「夏です よ!」という空気の漂う屋久島空港から、乗り継いで降り立った羽田。どんよりと曇って、小雨が吹き付け、しかも寒い。とにかく、寒い。

愚かにも、というかそれでも用心して Tシャツの上に、半袖を着ていた僕は、帰りの電車の中で、なんとなく浮いていた。留守をしていたのは、ほんの数日だったのに、皆、ちゃっかりと「秋ですねぇ」という格好をしているではないか。

少しおいて行かれたような、そんな気分。

注1:都会で頑張って緑を探してみました。なんかの葉っぱです。
注2:テトラ‐ポッド [Tetrapod] (「四つ足」の意) 4面体の頂点をそれぞれ先端とする4本の足から成るコンクリート塊。防波堤や海岸堤防などを保護する。商標名。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
注3:屋久島の気候は独特。黒潮からは、大量の水蒸気が発生し、2,000m近い屋久島の山々にぶつかって、大量の雲を発生させる。このため、屋久島の山には、年間10,000mmと言われる程大量の雨が降る。また、2,000m近い標高差により、麓の亜熱帯から山頂の亜寒帯に至るまで、ほぼ日本列島を縦断するに等しい気候変化が、一つの島の中に存在する。

正しければ速く、速ければ正しい

Photo: 2000. Suzuka, Japan, Nikon F100, SIGMA 100-500mm, Fuji-Film

Photo: 2000. Suzuka, Japan, Nikon F100, SIGMA 100-500mm, Fuji-Film

数百メートル離れたパドックから聞こえてくる甲高い音は、何かの管楽器に似ていた。規則正しく、ファン、ファン、ファンと、呼吸する様に。

やがて、ホームストレート正面のスタンドから、怒号にも似た歓声が上がり、最初の一台が、ウォームアップのためにコースに入った。音はすぐに遠ざかり、コントロールタワーの向こうに消えていった。

そして、1分後。僕の正面に立ちふさがる丘の向こう側から、歓声が上がる。同時に、金属音が響く。突然、シケインの奥から、低いシルエットのボディーが表れる。500mmの望遠レンズに、はっきりとそいつが映った。


爆音が、アスファルトとコンクリートウォールに跳ね返り、大気をビリビリ震わせた。一点の曇りもない、乾いたエグゾーストノートには、今まで聞いた ことのない「調子」があった。最終コーナーで、シフトアップ。そして全開。頭の中を、激しい爆発音が埋め尽くし、そして300Km/hで遠ざかっていっ た。

僕はファインダーから目を離し、呆然とマシンが走り去った方を眺めた。手には、押し損ねたNikonのリモートシャッター。なるほど、これがF1。 今にも雨が落ちてきそうな鈴鹿の空に、響いた音。人が作り出したエンジンというものから、ああいう音が出るとは、想像したことさえなかった。それは、20 世紀が生み出した、新しい音楽。


カーレース自体、僕は見たことがなかったのだが、会場で初めて、実際に目の前を走り抜けるF1カーを見て、明確に分かった。F1、それはつまり、極めて地道なエンジニアの仕事の集大成だ。

全てがカスタムメイドのF1カーに、決まった答えはないし、予定調和もない。未知のものを作るには、作り手に、センスと信念が無ければならない。素人の僕にさえ、フェラーリのエンジンが奏でる艶っぽい音と、メルセデスのエンジンから発せられるより金属的な音の区別が付いた。モノ作りの結果は誤魔化しようがない。それが正しければ速く、速ければ正しい。そして、答えは一つではない。フェアで残酷なルール。

そのエンジニアリングの技の全てが、音をつくる。鈴鹿の山に響いた26台のエンジン音。僕は、その音を作ったエンジニア達に対して、素直な賞賛を送り、そして、ある種の羨望を感じた。


5時間後。その楽器の演奏者たるドライバー達がマシンを降り、勝利の美酒に酔う時間。パドックでは、マシンの解体整備、あるいはマレーシアでの最終戦に備えたエンジンのチューニングが行われている。

スタンドでは、まだまだ居座り続けるつもりのファン達が、白熱灯の飴色の光に照らさたパドックの様子を見つめていた。今日、この鈴鹿で勝利を決めた フェラーリのパドック前には、深紅のツナギを着たメカニック達が集合していた。次の闘いに向けて、エグゾーストノートが響く。また、エンジンに火が入った。