旅行記の記事一覧(全 437件)

冬の密度

Photo: 窓と雪 2006. Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX
Photo: “窓と雪” 2006. Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX

東京は暖かい日が何日か続き、街の匂いに春の成分が混じる季節になったが、ニセコは完全に冬だった。


楽天トラベルで安易に選んだ(焼蟹と白老牛の夕食がキーワード)宿だったが、比羅夫あたりの雑然としたペンション街から遠く離れ、昆布温泉(なんて良い名前!)の近くにぽつんと、良い感じに建っていた。

きちんと整理されたロビーは良い印象で、僕が懸念した「でかい木の切り株」や「ビニールのかかった剥製」、あるいは、「お客のポラロイド写真を貼ったコルクボード」の類は無かった。というか、ごくごく、趣味の良いホテルだったのだ。


建物は、流石北海道できちんと断熱されていて、下手に東京のオフィスなどよりも、よほど暖かい。

部屋から眺める林は、数分ごとに大きく表情を変える。時折突風が吹くと、枝の上の雪が、白銀の煙のように舞い上がり、何も見えなくなる。そして、雲が晴れ、一瞬だけ青空が覗く。

その日、落ちた雪も、夜のうちにまた、どっさり枝の上に積る。それが繰り返され、だんだんに量が減っていき、ついに春が来るのだろうと、知ってはいるが、それはまだ遠い先のことに思えた。


「坂一つ上がっただけで、天気が変わりますからね」

確かに。酒でも買いに行くかと、宿から 5分ぐらいの酒屋(その宿の近くにある、唯一の商店)に、のんきに出かけたら、遭難しそうになった。北海道は、冬の密度が違う。

払暁の光

Photo: 手帳 2006. Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX
Photo: “手帳” 2006. Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX

払暁の光から、空は段々と朝の気配を帯びて、やがて日常の色を成していく。朝 4時に起きるのはつらかったが、こんな景色が見られるならそれも悪くない。

新千歳が大雪のため、引き返す可能性がある旨、機内放送がある。さっき、現地に先行している友人に電話したら、雪はそうでもないらしい。保険みたいなものか。

そうそう、同じ便には T シャツ姿のガイジンのグループが乗り合わせた。何故奴らは世界中のあらゆる場所で、T シャツなのか、おおいなる謎。この便は、北海道行きだよ?


とかいうようなことを、”ほぼ日手帳”に 書きながら、過ごす。旅行に手帳は便利だ。考えてみれば、手帳を持って旅行するのは、学生の時にロスアンジェルスに行って以来。会社に入ってからは、いつも、PDA とか PC を持っていた。電子機器の扱いにうるさくなった昨今、飛行機の中でも気にしないで書くことができるのが良い。それに、なんか、「書いてる」って感じがする。

天安門

Photo: 天安門 Beijin, 2004. Contax Tvs Digital, Carl Zeiss Vario Sonnar T* F2.8-4.8/35mm-105.

「メイヨーーーッ!(没有)」

が、ダメとかナイとか、そういう意味だと知ったのは、もっと後のことで、でも警官のかなり怒った形相からさっさとカメラを懐にしまって歩き始めた。 僕が彼をバックに撮ろうとした、天安門中央に掛かる毛沢東の肖像画。日本に帰ってきてから、最近新しいものに替えられたと知る。


北京についてホテルでひとしきりメールを処理した後、出かけた。SARS の当時は一つの車両に一人ぐらいしか人が乗っていなかったという北京の地下鉄に揺られて、天安門を見に行った。電車のシステムというのは、お国柄が出るよ うで、国によっていろいろ違い戸惑うことが多いけれど、北京の地下鉄はひときわ変わっている。自販機は無くて、窓口のみ。値段は全線 3元均一(多分)で、改札がない。ただ、階段があるだけ。階段の両側に、係の人が立っていて、映画のもぎりのように切符の半券をちぎる。

こんなんで、ラッシュの時はどうやって対応するんだ?という疑問がわく。答えは、立っている人の数が増えるのだ。ここにも、「とりあえず人を置いておけ」の法則がある。日々人手をどう削るか、ばっかり考えている我々のビジネスと、それは正反対の発想。質より量が勝っていく歴史。


天安門をくぐると、広い中庭に続いていた。その奥にはさらに門と広場が。人民解放軍の若者が中庭でバスケットをしている。観光シーズンではないせいか、天安門に来ているのは、中国の地方から出てきた人たちが多い。初めて北京の繁栄を目にした地方からの観光客も多いのだろう。皆、はしゃぎながら写真を撮ったり、何か話し合ったりしている。僕に中国語で話しかけてくる物売り。そりゃ、黙っていれば見分けはつくまい。行っても行っても清朝の王宮が続く。冷え込んできた上に、いい加減飽き飽きして引き返した。

この街は、かつての日本がそうであったように、オリンピックに向けて急激に変わろうとしている。僕が見た北京は、数年後にはまったく違う姿になっているに違いない。中国は変わらない、どこまでも中国だ、という言い方もあるだろう。でも、形が変われば、必ずその本質も影響を受ける。見ておくなら今なんだろうな、という気がする。