沖縄の人のための、外食沖縄料理

Photo: "Shekwasha cocktail."

Photo: “Shekwasha cocktail.” 2017. Okinawa, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Biogon T*2,8/28 ZM, Velvia filter

なんでノドグロが有るんだろう。根室の秋刀魚もある。メニューを見ながら、首を傾げる。

那覇、沖縄。ここは地元の人と、地元の人が接待で呼んできた人が通う店。最初に連れてきてもらった時から、次に那覇に来たら、またここに来ようと思っていた。

ここのメニューには沖縄料理と、普通の居酒屋料理がある。沖縄料理の方は、普通の家庭料理とは違う、どれも店流のアレンジを加えた「外で食べる沖縄家庭料理」になっている。例えば、ナーベラーチャンプルーは普通に目にするものとは違って、八丁味噌風味で甘口に仕上げてある。ニラが入っているのもアイディア。

よくあるメニューであるミミガーの和え物には、キュウリと葱を刻んだものが両方入っていて、強めのポン酢とゴマがかかっている。王道のミミガーを食べたい人のためのものではない。ちょっと変わったヤツを食べたい、そういう気分に応えるようになっている。


今の季節にだけ、生が出回るシークワーサーを山ほど入れてもらってサワーにする。沢山入れると、早生のミカンのような味がする。実際、収穫せずに放っておくと、確かにむいて食べられるミカン色になるそうだ。(酸っぱくて食べる人は居ない)

ところで、なんでノドグロとか秋刀魚とか、メニューはそんな魚ばっかりになってるの?

「沖縄の人は、沖縄の魚のお刺身は食べたくないからね」

まぁ、、言われてみればそうか。その一言はあまりにも重く、次の日から地元の魚の刺身を頼んでいる観光客を見かけると、ちょっと可哀想な気分になってしまった。

沖縄のよそ行き家庭料理

Photo: "Midnight in Naha."

Photo: “Midnight in Naha.” 2017. Okinawa, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Biogon T*2,8/28 ZM, ACROS+Ye filter

沖縄料理の見た目というのは、だいたいどんな店でも旅館でも同じようなもので、食べてみて初めて違いが分かるように思う。見た目では旨さの判断が付かないのだ。

その店の料理もまさにそれで、今にも崩れそうな(良い意味で)煤けた内装にしては、そして沖縄にしてはちょっと高いなというメニューに躊躇しながら2、3品頼んで出てきた皿は、本当にどうという事は無い沖縄料理。

ただ、食べてみるとたちどころにうまい。味付けが変わっているとか、材料が目新しいとかそういう事では無い。突き出しのミミガーの和え物が既に絶妙なバランスでうまいし、ドゥルワカシーの粘り気は想像より一段深くてうまいし、ナーベラーしか入っていない炒め物の味噌味もチャンプルーのリファレンスのようにうまい。

そう、この店の沖縄料理はリファレンスのように美味しい。メニューに有るのは絵に描いたような代表的沖縄料理だが、それをRFC通りに作るとこうなりますとでも言うか、「作例」のような完成度。


相席になっている隣のメンズ2名は、さっきからうまいうまいと大騒ぎしながら料理を食っている。美味しく料理を食べる姿は、本来気持ちの良いものだが、なんだか彦麻呂でも見ているかのような、オーバーリアクションの意味がよく分からない。

で、いかにこの店でも、君らが食べているそのカラフルな魚のお刺身って、そんなに美味しいのか?沖縄の刺身に疑念を抱いてしまうのは、前日に別の店のマスターに言われた一言が原因だのだが、それはまた別の話。

夏休みと人生はだいたい似ていると思った

Photo: "Beautiful parasols in Bondi beach."

Photo: “Beautiful parasols in Bondi beach.” 2016 Sidney, Australia, Richo GR.

ふと、人生は夏休みたいだな、と思った。そして、もっと早くその事に気がついていたら良かったのに、誰かがもっと早くにそう教えてくれたら良かったのに、とも思った。夏休みは、人生の初期の段階で体験する。だから、それがこれからの人生の相似形であることに早くから気がついていたら、もっと素直にいろんな事を理解できた気がする。


夏休みと人生は似ている。夏休みにはリミットがある。人生のリミットは誰にも分からないけれど、200年生きる人は居ないから、やはり最初から終わりが有る。そして、常にカウントダウンは刻まれ、それが進むにつれて、焦りが増えてくる。夏休み最後の一週間は、けっこう嫌な気分だ。もう楽しいことは先にあまりない。やり残した宿題だけが残っているかもしれない。人生も似ている。

夏休みと人生は似ている。いろんな過ごし方ができるし、毎日はなんとなくくり返されていく。その長いようで短い時間は、やったことだけが積み重なる。1日目に立っていた場所と、最後の日に立っている場所は、やっぱり違っている。沢山の事をする人も、何もしない人も居る。周りがやっているような事をなぞっていたら、なんとなく休みが終わる。そんな夏休みもあるだろう。人生も似ている。

夏休みと人生は似ている。楽しい夏休みもあれば、孤独な夏休みもある。周りの人、家庭の状況、いろんな初期条件や外部要因がそれを左右する。もちろん、自分がどう過ごすかでも、変わってくる。あるいは、意外と自分の手の及ばないところで、物事が流れていってしまう感覚。人生も似ている。

夏休みは何回かやってくる。それに比べて人生は1回で終わり。でも、その分長めの時間が用意されている。