巨大な橋、人間の叡智。
神戸の旅3日目。なんか楽しそうな響きがあったので、ポートアイランドに向かう。行ってみたら、ただの住宅地だった、、。
しかし、ポートアイランドに行くまでには、なかなか壮観な高架や橋を歩くことになる。普段は、車であっという間に通り過ぎてしまうこの手の建築物。 実際に歩いてみると、その大きさや重さを感じることができる。写真は、本土からポートアイランドに架かる橋の上から撮ったもの。遥かかなたに霞むのが、 ポートアイランドの高層住宅群だ。
写真と紀行文
巨大な橋、人間の叡智。
神戸の旅3日目。なんか楽しそうな響きがあったので、ポートアイランドに向かう。行ってみたら、ただの住宅地だった、、。
しかし、ポートアイランドに行くまでには、なかなか壮観な高架や橋を歩くことになる。普段は、車であっという間に通り過ぎてしまうこの手の建築物。 実際に歩いてみると、その大きさや重さを感じることができる。写真は、本土からポートアイランドに架かる橋の上から撮ったもの。遥かかなたに霞むのが、 ポートアイランドの高層住宅群だ。
西ノ宮神社の池。
池の中に網をいれて、おじいちゃんと子供が、なにかを掬っている。夏は、盛りを迎えていた。池は青々とした藤棚に囲まれ、静寂がある。何故か、セミが鳴いていない。
この子にとって、この夏の一日は忘れがたいものになるのだろうか。あるいは、記憶の底にひっそりとしまわれた、日常の風景になるのだろうか。この写真を見ていると、ふと自分の記憶の底をさらってみたくなるような、そんな気になる。
神戸を印象付けたものの一つが、水。この境内の池の水。殺伐とした海の水。夙川の柔らかい水。酒場で飲んだ、灘の酒の水、、。
半年前のある日、神戸にいくことに決めた。村上春樹の「辺境・近境」の中に書かれた旅を、自分でやってみようというのが、動機。この時の様子は、 [今日の一言] に書いた。
実は、出かけるときにカメラも持っていった。そこらへんに転がっていたフィルムをカメラに詰めて、いつものT2をバックパックに入れた。後で見た ら、2年以上前のフィルムだった。感光剤が劣化して、なんか、ずいぶん前の景色を撮ったような、不思議な写真が出来上がった。
この旅から幾らかの時間がたって、部屋の隅から忘れていたこの時の写真が出てきた。何枚かを選んで、記憶を辿りながら書いてみることにする。
1枚目は、西ノ宮神社。静かな境内には、家族連れがポツポツと歩いている。宗教は、その是非はともかくとして、文化の一つの現れ方。神社もまた、日 本というあやふやな形の文化の一例。神戸という、少しハイカラ」な土地の神社。