ワカメご飯

成城石井で愛用していた、超美味いワカメご飯の素は、いつの間にか売り場から消えてしまった。

代わりに、瀬戸内の塩蔵ワカメは売られているので、それでワカメご飯を自作しよう。
小学生の時に引っ越した仙台で、一番衝撃を受けたのは、給食のワカメご飯だ。

僕は給食に何の関心も無い子供であり(驚くことに、食べる事全般に、特に興味が無かった。ご飯が待ち遠しいとか、そういう記憶が全く無い)、給食を楽しみにした記憶は全くない。だが、このワカメご飯だけは好きだった。

わかめご飯

で、出来上がってたいへん高いテンションで食べたものの、やっぱりクソ面倒だな。
味的には、ユニバーサルに入手可能な、これで十分だった。

https://www.tanaka-foods.co.jp/item/wakame/1180.html

小田嶋隆の訃報を聞く

小田嶋隆の訃報を聞く。コメンテーター、みたいな感じで、いつの間にかこの人がメディアに出ていた事に、僕は少なからず驚いた。僕にとっての彼は、「パソコン雑誌」のライターだったからだ。

「我が心はICにあらず」今でも、僕の本棚にもある。引越の度に、持っていく本として選ばれてきた。

何かを書くときに、主語が大きくなると、おかしくなっていく。
「我が心〜」の頃の、自分語りのエッセイは面白かった。あのまま行って欲しかったけど、あのままでは食えなかったのだろうか。

 

テクニウム

このウンザリする厚さの本を読む気になってのは、一昨年のWired conferenceで著者のケビン・ケリーのセッションが出色に面白かったからだ。(テクニウム――テクノロジーはどこへ向かうのか? ケヴィン・ケリー著、服部桂翻訳、みすず書房 2014年)

この本は前から知っていた、多分書店で手に取ったこともある。しかし、時が熟していなかった。そして、再びこの本を手に取った2020年末は、この本が必要な時で、この本がドットを繋げる(あのスピーチで言及されていた、ホールアースカタログの編集者の一人は、まさにこの本の著者であるケビン・ケリーなのだが)時期なのだ。どこに行くのかはさっぱり分からないが、何かの潮流に乗って、このタイミングで、なにかの繋がりへの萌芽を感じたことは確かだ。

1年半前の自分のメモには、いささか不正確だと思われる引用を交えて、興奮気味に印象を書いている。曰く、

”テクノロジーは滅びない、その進化は縦ではなく、過去のアイディアが突然現れたりして進む。それは、我々が日々のネットの技術を評価して、これって昔もあったよね、みたいな事を言い合っているのが、あながち単なる懐古趣味と言うことはなくて、テクノロジーが本質的に持っている進化の仕組みがそうさせている。そんな指摘は初めてみたし、しかし、直観的に正しい指摘だと感じる。”

しかし、この本は、まだ途中なのだという感じが拭えなかった。ただ、何かの再スタートのきっかけにはなった。