なんか、凄くつらそうに見えるんですけど、大丈夫でしょうか?
「ブクブク、、。」
いくらなんでも、これをお土産にとか言って買う気にならないなぁ。
「ちょっと、、」
はいはい。
「明るすぎ、、」
深海の生きモノだもんな、、。頑張ってくださいね。
「、、、。」
いや、色んな意味で、これ厳しいよ、やっぱり、、。
注:買うなら茹でてあるのにしようと思った。
写真と紀行文
「ちょっと、、」
はいはい。
「明るすぎ、、」
深海の生きモノだもんな、、。頑張ってくださいね。
「、、、。」
いや、色んな意味で、これ厳しいよ、やっぱり、、。
注:買うなら茹でてあるのにしようと思った。
そういう小学生も滅多にいないと思うのだが、僕が卒業アルバムに書いた、将来なりたいものは SE だった。
大学は理系に行かなかった。政治や歴史を勉強した。それでも、インターネットブームにのって、僕は SE になった。こう書くと、なんとなく軽いけれど、まあ軽いのだ。
卒業アルバムに書いたとおりの職業につくことができる人間の割合、というのを考えれば、僕は幸せなのかも知れない。
結局、人は、自分自身を受け入れるために、長い旅をしているのかも知れない。これでいいんだ、と思うために、いろんな曲がり道を歩いているのかも知れない。そんな風に考えることが、多くなってきた。
自分の夢を実現することができれば、安心できると思った。そうでもない。
幸せってなんだ。よく分からない。でも、つくるものとか、獲得するものとか、そういうのではない。それはきっと、受け取るもの。
ここまでの文章は 3年前に書いて、そのままになっていた。いろいろ歩いて、一周して、またここに戻ってきた。
同じ自分ではない、同じ自分でもある。
ラーメン番組を見るのは好きだが、ラーメンを食べるのはそれほど好きじゃない。ラーメンのスープは飲み干さない、と言えば伝わるだろうか。だから、ラーメンが食べたい、と思うことはほとんど無いのだが、それでも年に数回「ラーメンが食べたいような」気がする時がある。
そんな時は街の中華料理屋に行く。いわゆる、昔ながらのラーメン屋、雑多なメニューが 30種類ぐらい貼りだしてあるような店。お客は、居酒屋代わりに餃子や焼売を食べながら飲んでいる会社員の一団。外出の帰りに寄った親戚同士。閉店間際 に、独り晩飯を食いに来る男。(僕だ)
僕の行く店は、高級中華というわけでは決して無いが、例えばフランチャイズチェーンの中華料理屋なんかに比べると値段はあんまり安くない。街のラーメン屋、という単語から想像される価格よりも 200円高いとか、そんなイメージ。その代わり、材料がちょっと良かったり、量がちょっと多かったりする。
普通のラーメンもあるのだが、あえてニンニクラーメンとかを頼むこともある。めったに食べないし、せっかくだから。出来合のおろしニンニクじゃなく て、ちゃんとみじん切りにしたニンニクがどっと入っていて良心的。スープの味は、ザ・ラーメン屋みたいな加減で、ちょっと浮いてる小口切りのネギが良く合う、そんな味。拘り素材とか、焦がしネギがどうこうとか、そんなアホな話は全然なくて、おばちゃんが「はいよ!、おまたせしました!」と元気よく置いていくニンニクラーメン。食べると少し元気になる。
永くやっている店だから、信用具合みたいなものは、チェーンとは違うし、オヤジの真っ黒中華鍋の出す味は、ホッとする感じ。お客も危ない人が居ないから(深夜の牛丼屋とか、ホント怖い人が居るでしょ)、安心。こういう地縁的な店をぶっつぶして、高効率・マニュアル調理・均質サービス、みたいなバカビジネスモデルの果てが、殺伐とした緊張感につつまれたフランチャイズ餌場みたいなものだとすると、時代はこっち側に揺り戻してる気がする。
今日もお客さん、けっこう入ってるし。